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  • カミュの「異邦人」で執筆脳を考える-不安障害2

    2 Lのストーリー 司法の精神医学

     「異邦人」(1942)は、アルベール・カミュ(1913-1960)が29歳のときに書いた小説である。17歳のときに肺結核の発作が起こる。肺結核のために大学教授資格試験も断念しており生涯の持病になる。主人公ムルソー(Meursault)は、1930年代の青年の喜びや苦しみを具現化した典型的な人物であり、人間とは何かという問題を分析するときの題材になる。   
     不条理は、筋道が通らないこと、道理に合わないことであり、道理は、正しい筋道、人の行うべき正しい道のことである。ムルソーは、不条理の光に照らしても、その光の及ばない固有の曖昧さを保っているとし、不条理に関しては、それに抗している。現実で具体的なもの、現在の欲望だけが重要であり、人間は無意味な存在で、無償であるという命題こそが出発点で積極性を内に秘めたムルソーがそこにいる。そこで「異邦人」の購読脳を「不条理と現実」にする。   
     キリストの処刑同様にムルソーの呟きは、無実の罪によるものと作者は考えており、この作者とは、ムルソーが法廷で視線を交わした一人の新聞記者(J’ai rencontré le regard du journaliste à la veste grise)である。
     ママンの死(maman est morte)とかアラビア人を殺す(J’avais abattu L’Arabe comme je le projetais)といった生死に関わるような体験は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発症にもつながる。日本成人病予防協会(2014)によると、発症する要因には過去に精神疾患があったり、トラウマ(心の傷)があったり、身体的な消耗とか物事を深刻に受け止める傾向が強いかどうかが重要因子になる。二つの事件は、記憶に残りトラウマとなって何度も思い出すが、ムルソーの症状は、特別強いわけではない。第二次世界大戦中のフランスやスペインそして北アフリカには、こうした精神疾患の持ち主が多くいた。
     不安障害は、ストレスが原因で不安や心配が生じそれが解消できないと心身に様々な症状が出る。長い準備期間の後、症状発現のきっかけになる結実因子があって神経症が発症する。ムルソーの場合、几帳面で積極性を秘めた性格(un caractère taciturne et renfermé)、生死にまつわる環境(circonstances entourant le décès)、それに適応する能力(capacité d’adaptation)から生まれる結実因子をどこかで調節している。それは、不条理に抗する力があるためである。世界が不条理であることを発見した。裁判長がフラン人民の名において広場で斬首刑を受けるといったにもかかわらず。(Le président m’a dit dans une forme bizarre que j’aurais la tete tranchée sur une place publique au nom du peuple francais.)
     そこで執筆脳は、「秘めた積極性と抗力」にする。ムルソーは、嘘をつくことを拒絶する。(refus de mentir)存在し感じることのできる真理が好きだからである。積極性を内に秘めていればこそできる技である。作品そのものは、不条理に関し、それに抗して作られている。白井(2016)の仮説、法廷でムルソーと視線を交わした新聞記者とは、カミュの分身であろう。そこで、シナジーのメタファーは、「カミュと不条理に対する抵抗」にする。キリストの処刑同様にムルソーの呟きは、無実の罪によるものと作者は考えている。

    花村嘉英(2020)「カミュの『異邦人』の執筆脳について」より

  • カミュの「異邦人」で執筆脳を考える-不安障害1

    1 先行研究
     
     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。 
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     なお、メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2020)「カミュの『異邦人』の執筆脳について」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ14

    3 まとめ

     武漢外語外事職業学院に赴任して、2年間で中国人の学生に日本語を教授した内容について話をした。クラスでの指導の外に、2009年11月に「中国から伝わった日本の言葉や文化-欧州との比較も混じえて」と題して、1時間余り講演をし、講演後、質疑応答で20分ぐらい学生と熱く議論を交すことができた。
     課外でも、武漢大学の大学院生の知人にプライベート・レッスンンの枠組で、中国語を教えてもらった。教材は、普通话-培训测试教程である。発音の矯正から始まって平易な中国語のテキストを中国語から日本語へ訳す練習をした。新聞の速読も試みているが、まだまだである。会話と合わせて今後の課題になる。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ13

    全体の訳文は、次のようになる。

    かつて、このような話を聞いたことがあります。葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待をしていました。ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい。これは、日本人の「謎の微笑み」に関する例の一つです。一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えることができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります。
     いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています。これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです。よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は、悲しい気持ちで一杯であることに気づくでしょう。

     卒業して実務経験を積んでから、翻訳の仕事をしてみたいと相談されたことがある。その際、「まずチェッカーから始めるとよい」と言ってきた。チェッカーは、訳抜けがあるかとか専門用語が正しかどうかを確認する翻訳者から編集者へのつなぎ役であり、また、翻訳の仕事の流れや時間厳守であることが分かるからである。
     他の大学でも機会があれば、「みんなの日本語」から「日本語会話技巧編」及び「ビジネス日本語会話」への流れの中で、日本の語学、文学や文化について話をしていきたい。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ12

    それぞれの文の訳を考えていこう。

    1. 我曾听到这样一件事: 曾は「かつて」、听到は「聞いたことがある」、这样は「このような」になる。訳は、「かつて、このような話を聞いたことがあります」。

    2. 葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着黑色的丧服, 脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人: 葬礼那天は「葬式の日」、失去丈夫的妻子は「旦那さんを亡くした奥さん」、穿着は「着ている」、黑色的丧服は「黒い喪服」、脸上は「顔には」、带着微笑は「微笑みを浮かべて」、前来吊唁的客人は「弔問に訪れる客を前に」になる。訳は、「葬式の日に、旦那さんを亡くした奥さんが、黒い喪服を着て、顔には微笑みを浮かべながら、弔問に訪れる客を前に接待していました」。

    3. 一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?: 情景は「光景」、不禁は「思わず」、觉得奇怪は「不思議に思う」、难道は「まさか・・・ではあるまい」、不觉得悲伤は「悲しいと思わないわけではあるまい」になる。訳は、「ひとりの外国人がこの光景を見ていて、思わず奇妙に思いました: まさか日本人は、悲しいと思わないわけではあるまい」。

    4. 这是有关日本人“迷一样的微笑” 的例子之一: 有关は「~に関する」、迷一样的微笑は「謎の微笑み」になる。訳は、「これは、日本人の『謎の微笑み』に関する例の一つです」。

    5. 一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑: 一般来说は「一般的に言って」、按捺は「堪える」、悲伤与愤怒は「悲しみと怒り」、即使は「たとえ・・・でも」、心灰意懒は「意気消沈」、要面带微笑は「微笑みを保つ必要がある」になる。訳は、「一般的に言って、日本人は皆、悲しみや怒りを堪えことができます。たとえ意気消沈しているとしても、微笑みを保つ必要があります」。

    6. 不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难: 不管怎么说は「いずれにせよ」、认为は「と思う」、实在は「実際に」になる。訳は、「いずれにせよ、外国人は、表情がない日本人の心の世界を理解するのが実際に難しいと思っています」。

    7. 这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的: 因为は「・・・だから」、通过眼睛和动作は「目や動作によって」、用语言无法表达は「言葉では表現の仕様がない」になる。訳は、「これは、日本人が通常目や動作によって言葉では表現の仕様がない心の世界を表すからです」。

    8. 常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情: 眉目传情は「目の表情で感情を伝える、つまり、目は口ほどに物を言う」、如果は「もし・・・ならば」、这位妇女的眼睛は「この婦人の目」、一定は「必ず」、发现は「気づく」、悲伤之情は「悲しい気持で一杯」になる。訳は、よく「目は口ほどに物を言う」と言いますが、もしこの婦人の目に注意すれば、必ず内面は悲しい気持ちで一杯なことに気づくことでしょう」。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ11

    2.3 小論文からやさしい翻訳へ

     日语会话技巧篇のテキストでは、各章毎に場面が設定されていて、それに対応する対話文を使用しながら、練習をしていく。その中に日本の事情を扱った「小知識」とういうコラムがある。その内の一つを材料にして翻訳の話を進めていく。また、このテキストは、「です・ます調」を使用していることから、ここでもそれに準じようと思う。

     我曾听到这样一件事:葬礼那天,失去丈夫的妻子穿着黑色的丧服,脸上带着微笑接待着前来吊唁的客人。一位外国人见到这样的情景,不禁觉得奇怪: 难道日本人不觉得悲伤吗?这是有关日本人“迷一样的微笑”的例子之一。一般来说,日本人都会按捺着悲伤与愤怒,即使心灰意懒也要面带微笑。不管怎么说,外国人认为要了解没有表情的日本人的内心世界实在是很难。这是因为日本人通常是通过眼睛和动作来表现用语言无法表达的内心世界的。常言道眉目传情,如果注意这位妇女的眼睛,你一定会发现里面充满了悲伤之情 (「日语会话技巧篇」 P30より) 。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ10

    2.2 作文から小論文へ

     小論文とは、ある事柄に対して自分で判断をし、その判断がなぜ正しいのかについて根拠を挙げて述べる文章である。参考資料からの引用を踏まえて、間接的で客観的に自分で考えたことを書いていく。一方、作文は、自分の経験をもとに、感じたことや考えたことを主観的に書く文章である。わかりやすく、筋の通った説得力のある論文を書くには、構造をきちんと構築しなければならない。小論文の基本構造は、序論、本論、結論である。
     序論とは、論文全体の紹介である。この論文が何を意図していて、どういう過程を経て結論に至るのかを説明する。ここを読めば、筆者が何を考え、何を主張しているのかがわかるようにする。私の結論はこれである、こうした方法論を用いて、こうした結論に至った、と序論に結論を書くのもよい。読み手は、結論を念頭に置いて、書き手の議論を追いながら検証していく。この小論では、自分の主張に沿って次から次へと証拠を上げながら、自分の議論を進めていく。論文の主張に沿って議論を進め、極力余分な情報は入れないようにする。余計な情報を入れなければ入れないほど、引き締まった論文になる。結論は、裁判でいう判決部分である。この小論で証拠を挙げながら述べた事の良し悪しを「~であるからこう考えます」のように導き出す。
     注意事項としては、次のようなことを考慮すればよい。自分の意見と確認できる情報(参考資料、WEBサイトも含む)は、区別すること。確認できる情報には、引用符をつけることも大事である。感想は、書かないほうがよい。また、「これ」や「それ」といった指示代名詞が何を指すのかがはっきりとわかるように書くこと。できるだけ指示代名詞を使わないようにする。読み手がわからなければ、書き手の意図は伝わらない。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ9

    2 会話や作文からやさしい翻訳へ

     ここまでで獲得したスキルを使用して、やさしい作文を書くことを考えてみる。簡単な文型や単語を覚えれば、提示されたテーマについて、辞書を使いながら平易な日本語の作文は書けると思う。

    2.1 会話から作文へ

     「日语会话技巧篇」では、会話の場面のイメージを作ることを目標に授業を進めている。その際、ラーニングメソッドとしてペアワークによる簡単な会話を試みている。そのねらいは、会話による簡単なやり取りができるようになれば、語学ができるようになったと誰もが思うからである。作文の練習の仕方として、テーマを与えて自由に書かせる方法もあるが、場面を設定して、特にその内容をまとめるという練習方法もある。自分である程度話せるようになった場面の内容であれば、頭の中に日本語のイメージを浮かべることができるため、あとはライティングが問題になる。辞書を使いながら、できるだけ読みやすい日本語を書くように心がければよい。
     作文の添削指導をしていて思うことは、中国人の学生の活用や助詞の使い方の誤りである。そもそも中国語には活用形がない。中国語は、日本語の動詞や形容詞のように語尾変化することはない。この点が中国人の学生には面倒なようだ。また、日本語の助詞に似た前置詞はあるが、主語の「は」とか「が」や目的語の「を」はない。「は」は、主題を表す助詞であるが、主体を表わす「が」と異なり、「特に」といったニュアンスがあるため、読みやすいように読点「、」が必用になる。これは、主題の「は」が主体の「が」よりも強い主語だからである。
     簡単な作文が書けるようになれば、スタイル(文体)にも気をつけるとよい。日本語の文末は、「です・ます調」か「である調」でそろえなければならない。手紙とかビジネス上の書面であれば、「です・ます調」で書き、新聞や雑誌等では「である調」が使われる。学生が書く文章には、両方のスタイルが混在しているケースも間々見られる。こうした易しいライティングの基本を理解したら、次は就職試験でも書くことになる小論文へ進むことができる。学生の中には日系企業を希望する者もいるため、日本式の履歴書の書き方や面接試問も含めて日本式の就職活動について説明するのもよいと思う。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ8

     漢字系学習者の場合、音声と意味の結びつつきを鍛えれば、音声と文字との結びつきもスムーズに行くと思われる。中国人の学習者にとって、日本語の発音やアクセントは決して難しくはない。整理の段階でする作業は、目標の到達度のチェックと課題の提示であろう。どのくらいチェックできたか毎回教師が確認する必要がある。また、クラスの中ではできないような課題、例えば、作文の練習を宿題にするのもよいと思う。弱点を補強し、次につながるような課題を出せばよい。外国語の授業は、導入、展開、整理の三分節に分けることができる。45分x 2 の授業であれば、毎回、それぞれの時間配分を予め決めておくようにする。例えば、導入が10分、展開が65分-75分、整理が5分-15分というようにする。

    教授法のプロセス                   内容
    ①時間毎の教案を書く:何を教えるのか、どのぐらい教えるのか、どのように教えるのかといったことを考え
               ていく。
    ②ウォーミングアップ:前回の質問事項の回答や教材からの提示については、黒板に書く。続けて目標の設定
               も説明する。
    ③ヒアリング指導:言語的知識(音素識別力、語彙力、文法力)と思考活動(予測、記憶、判断、照合)。ス
            キミング、スキャニング、マッチングは前者、ハイポセシス・テスティングは後者になる。
    ④リーディング指導:音読と読解。音読とは、文字の音声化のことで、読解とは、テキストから情報を引き
              出すこと。
    ⑤整理してまとめる:目標の到達度のチェックと課題の提示。例、作文の練習。外国語の授業は、導入、
              展開、整理の三分節に分けて進めるとよい。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より

  • 『話す』 日本語の会話や作文からやさしい翻訳へ7

     クラスで漢字系学習者には、最初に漢字熟語のリストを与えず、音声と文脈から漢字を連想させるようにする。正確な読み方や使い方は後から説明するとよい。
     リーディングの指導は、音読と読解に分けられる。音読とは、文字の音声化のことで、読解とは、テキストから情報を引き出すことである。いわば、音読は、読解のための基礎的な能力といえる。経験からも分かるように、音声と意味及び音声と文字はすぐに結びつくが、意味と文字はなかなか結びつかない。音声と意味の結合は、聴覚像が媒介になり、音声と文字は、記述像が媒介になる。意味と文字は、こうした聴覚像と記述像が二段階で結びつくことにより、次第に両者が直結するようになる。これがリーディングのゴールである。

    花村嘉英著(2017)「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より