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  • 有吉佐和子の「華岡青州の妻」で執筆脳を考える4

    【連想分析1
    表2 受容と共生のイメージ合わせ

    加恵の失明と懐妊

    A 青洲の大きな目が剥き出したようになって妻の目を凝視していた。潤んだ眼をしばたたきながら加恵は真昼の明るい部屋の中で、青洲の顔も見えないようであった。「加恵」青洲は妻を抱くと、静かに蒲団に横たえた。「痛むか」「いいえ、先刻ほどには」「そうか」
    意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、衝突2、達成2

    B 青洲は加恵の瞼に指をあててなんの反応も見せない瞳孔を仔細にあらため見ながら、次第に表情を曇らせていった。麻酔薬の実験成果の喜びは萎えて、彼の心はよやく医者から夫に戻ろうとしていた。加恵にはもう見えなかったが、青洲の喉仏の横にある例の大きな黒子は、懸命に何かをこらえている内心を示すように激しく揺れ動いていた。 意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 2、衝突2、達成2

    C 目の奥の痛みは日がたつにつれて薄れていったが、目やにも止まった頃には、加恵は完全に盲目になっていた。青洲のそれを見つめている悲嘆は誰の目にも痛々しかった。そして於継が朽木の倒れるような斃れかたをしたときも、彼の心を瞬間も加恵から離すことはなかった。 
    意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 2、衝突2、達成2

    D 盲目の加恵はもはや姑の看病はできなかったし、魂がぬけたように甚だしく老いた於継の姿もみることはなかった。薬草畠も霜で凍るような夜、於継が息をひきとったとき、加恵は米次郎に手をひかれて姑の臨終に侍したが、静かに合掌しながらも、しきりにと胸から喉へ突き上げてくる不快なおく気の方に気をとられていた。 意味1 1、意味2 3、意味3 1、意味4 1、衝突2、達成1

    E 十幾年ぶりかで加恵は妊っていたのであったが、於継はそれを知らずに死んだ。彼女が青洲の養子にするようにといっていた良平は京都に遊学中であったから、枕元には青洲夫婦と小陸がいたばかりである。
    意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 1、衝突1、達成1

    花村嘉英(2020)「有吉佐和子の『華岡青州の妻』の執筆脳について」より

  • 有吉佐和子の「華岡青州の妻」で執筆脳を考える3

    3 データベースの作成・分析

     データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
     こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

    【データベースの作成】

    表1 「華岡青州の妻」のデータベースのカラム

    文法1 名詞の格 有吉佐和子の助詞の使い方を考える。
    文法2 ヴォイス 能動、受動、使役。
    文法3 テンス、アスペクト 現在、過去、未来、進行形、完了形。
    文法4 モダリティ 可能、推量、義務、必然。
    意味1  五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
    意味2 喜怒哀楽 喜びや怒り。
    意味3 葛藤 精神内部で異なる方向の力同士が衝突する。
    意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
    医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「女心の葛藤と外科医術の開拓」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
    記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
    情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
    情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
    情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
    人工知能 衝突 エキスパートシステム 主張や意見が対立すること。反目すること。
    人工知能 達成 エキスパートシステム 目的に達し成功すること。

    花村嘉英(2020)「有吉佐和子の『華岡青州の妻』の執筆脳について」より

  • 有吉佐和子の「華岡青州の妻」で執筆脳を考える2

    2 「華岡青州の妻」のLのストーリー

     世界初の全身麻酔による乳癌手術の成功者華岡青洲(1760-1835)は、当時でいう先端を行く外科医として乳癌の手術の方法を探していた。京都帰りの25歳のときには、曼荼羅華を主成分とする麻酔剤が研究テーマであった。
     青洲の妻加恵は、封建社会の家を重んずる姑と敵対関係にあり、和歌森(2010)にいわせると、家と女の関わりは、今も昔も特別といえる。歴史に名高い医者の家でも女心の葛藤は、有吉佐和子(1931-1984)をして小説の題材になった。そのため、購読脳は、「女心の葛藤と外科医術の開拓」にする。
     作品の中では、精神内部で異なる方向の力同士が衝突している。衝突しながらも、小姑お勝が乳癌になってから、青洲の麻酔薬作りは人体実験の段階に入り、姑と嫁の争いが頂点に達する。青州は、最初母に麻酔剤を試してみる。しかし、母は、薬の完成を早呑み込みしたため、青洲も内心忸怩たるものがあった。 
     加恵の献身は、自身を実験台として麻酔剤を生産させたことである。青洲は、曼荼羅華の花や種を多量にし、猛毒の草烏頭も調合した。於継に飲ませた量とは比べものにならない。加恵の場合、三日二晩寝続け、目が覚めてから健康状態に戻るまで半月かかった。しかし、辛いとは思わなかった。そして通仙散が誕生した。無論、青州の達成感も格別であった。
     息子も出産し、麻酔剤も成就させ、加恵は、盲目になるも達成感のある晩年を過ごす。そこで、執筆脳は「衝突と達成」にする。また、購読脳と執筆脳をマージしたシナジーのメタファーは、「有吉佐和子と葛藤」である。

    花村嘉英(2020)「有吉佐和子の『華岡青州の妻』の執筆脳について」より

  • 有吉佐和子の「華岡青州の妻」で執筆脳を考える1

    1 先行研究

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     メゾのデータを束ねて何やら観察で予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2020)「有吉佐和子の『華岡青州の妻』の執筆脳について」より

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える7

    3 まとめ

     中島敦の「山月記」に登場する人物の記憶範囲についてデータベースから心理学統計による評価をしてみると、記憶範囲に関して差があることが分かった。

    参考文献

    実吉綾子 心理学統計入門 技術評論社 2013
    中島敦 山月記 青空文庫
    花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方-トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
    花村嘉英 中島敦の「山月記」のデータベース 2017

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える6

    1 最初は記憶範囲に差がないと予測する。両者の平均値を取ると、李徴 1.7、袁參 0.9になる。この差は、誤差の可能性がある。
    2 具体度の1、2は独立変数であり、それにともなう記憶の度合い強弱は、従属変数になる。
    3 独立変数そのものの1、2が要因で、独立変数の実際の値、記憶の度合いが水準になる。
    4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
    5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。 
    6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を説明する。

    [満足度のt検定]
    李徴 1.7、袁參 0.9、よってt値=0.8。
    自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
    p値は、0.02にする。ここでは5%未満のため、対立仮説を採択し、有意な差があるとする。

    花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える5

    表2 具体度

     何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努めて人との交りを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはいいわない。李徴2 袁參1

     しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。李徴2 袁參1

     共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。己の珠に非ることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
    李徴2 袁參1

     己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。李徴2 袁參0

     これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く己は、己の有っていた僅ばかりの才能を空費して了った訳だ。
    李徴2 袁參0

    花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える4

    2.3 「山月記」の登場人物にみる記憶範囲の違い

     「山月記」は、己を失くし妻子を苦しめた李徴が後悔しながらも最後は旧友袁參に素直な気持ちを伝えるというストーリーである。ここでは、この小論の研究テーマ、記憶範囲の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。

    解答 記憶範囲の違い
    表1 具体度

     一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後、李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。李徴1 袁參0

     翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏がいうことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれた方が宜しいでしょうと。李徴0 袁參1

     袁參は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。李徴2 袁參1

     その声に袁參は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁參は、李徴と同年に進士の台に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁參の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。李徴2 袁參2

     叢の中からは暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微な声が時々洩るばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。李徴2 袁參2

    花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える3

    2.2    実験計画

    【研究テーマ】
    質問 登場人物の記憶範囲の違い。
    帰無仮説 記憶範囲に差がない。
    対立仮説 記憶範囲に差がある。
    【実験計画】
    独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でいうと原因である。
    従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
    【要因と水準】
    要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
    水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
    【参加者間要因と参加者内要因】
    参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
    参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
    【有意確率】
     帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤ってないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。

    花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より

  • 心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える2

    【検定の流れ】
     帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する

     ここで、帰無仮説とは、比較する数値間に差がないという仮説である。対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり背理法による命題の証明である。

    花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より