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  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から12

    分析例

    1 山に住む人々について記述している場面。
    2 この論文では、「千曲川のスケッチ」の執筆脳を「共感と批判」と考えているため、購読脳でも意味3の思考の流れ、研究のありなしに注目する。
    3 長野の土地柄が学問好きな人々の集まりとなっている。
    3 意味1 1喜2怒3哀4楽、意味2 1視覚2聴覚3味覚4嗅覚5触覚、意味3研究1あり2なし、意味4振舞い 1直示2隠喩
    4 人工知脳1 共感1ある2なし、人工知能2 批判1ある2なし

    テキスト共生の公式
    ステップ1 意味1、2、3、4を合わせて、解析の組「写生と研究」を作る。
    ステップ2 学習や観察から「共感と批判」という組を作り、解析の組と合わせる。

    A 4楽+2聴覚+1研究あり+1直示という解析の組を、学習や観察からなる共感1あり+批判2なしという組と合わせる。
    B  4楽+2聴覚+1研究あり+1直示という解析の組を、学習や観察からなる共感1あり+批判2なしという組と合わせる。
    C  4楽+2聴覚+1研究あり+1直示という解析の組を、学習や観察からなる共感1あり+批判2なしという組と合わせる。
    D  3哀+2聴覚+1研究あり+2隠喩という解析の組を、学習や観察からなる共感2なし+批判1ありという組と合わせる。
    E  4楽+1視覚+1研究あり+2隠喩という解析の組を、学習や観察からなる共感2なし+批判1ありという組と合わせる。

    結果 表2については、テキスト共生の公式が適用される。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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    【連想分析1】

    表2 言語の認知(文法と意味)山に住む人々

    A 一体にこの山国では学者を尊重する気風がある。小学校の教師でも、他の地方に比べると、比較的好い報酬を受けている。又、社会上の位置から言っても割合に尊敬を払われている。その点は都会の教育家などの比でない。新聞記者までも「先生」として立てられる。
    意味1 4、意味2 2、意味3 1、意味4 1、AI共感批判 1+2
    B 長野あたりから新聞記者を聘へいして講演を聴くなぞはここらでは珍しくない。何か一芸に長じたものと見れば、そういう人から新智識を吸集しようとする。小諸辺のことで言ってみても、名士先生を歓迎する会は実に多い。あだかも昔の御関所のように、そういう人達の素通りを許さないという形だ。
    意味1 4、意味2 2、意味3 1、意味4 1、AI共感批判 1+2
    C 御蔭で私もここへ来てから種々いろいろな先生方の話を拝聴することが出来た。故福沢諭吉氏も一度ここを通られて、何か土産話を置いて行かれたとか。その事は私は後で学校の校長から聞いた。朝鮮亡命の客でよく足を留めた人もある。旅の書家なぞが困って来れば、相応に旅費を持たせて立たせるという風だ。概して、軍人も、新聞記者も、教育家も、美術家も、皆な同じように迎えらるる傾きがある。
    意味1 4、意味2 2、意味3 1、意味4 1、AI共感批判 1+2
    D こうした熱心な何もかも同じように受入れようとする傾きは、一方に於いて一種重苦しい空気を形造っている。強しいて言えば、地方的単調……その為には全く気質を異にする人でも、同じような話しか出来ないようなところがある。
    意味1 3、意味2 2、意味3 1、意味4 2、AI共感批判 2+1
    E それから佐久あたりには殊に消極的な勇気に富んでいる人を見かける。ここには極くノンキな人もいるが又非常に理窟ッぽい人もいる。
    意味1 4、意味2 1、意味3 1、意味4 2、AI共感批判 2+1

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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    5 データベースの作成・分析

     データベースの作成方法について説明する。エクセルのデータは、列の前半(文法1から意味4)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
     こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

    【データベースの作成】
    表1 「千曲川のスケッチ」のデータベースのカラム
    文法1 態: 能動、受動、使役。
    文法2 時制、相: 現在、過去、未来、進行形、完了形。
    文法3 様相 : 可能、推量、義務、必然。
    意味1 喜怒哀楽: 喜怒哀楽、記事なし。
    意味2 五感: 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
    意味3 思考の流れ: 研究あり、なし。
    意味4 振舞い: 身振り。直示と隠喩を考える。
    医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「写生と研究」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
    情報の
    認知1 感覚情報の捉え方: 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
    情報の
    認知2 記憶と学習: 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。未知の情報は、学習につながるためカテゴリー化する。記憶の型として、短期、作業記憶、長期を考える。
    情報の
    認知3 計画、問題解決、推論: 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
    人工知能 共感・批判 エキスパートシステム: 人の考えや主張を自分も同様に感じたり理解したり、人物、行為、判断、学説、作品などの価値、能力、正当性などを評価検討する。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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     批判的思考の適用は、自分の持つ批判的な思考のスキルから最適なものを選択し遂行するというプロセスにより成立する。使用判断は、批判的思考をその状況で行うか否か判断し、表出判断は、行った批判的思考をその場面で表出するか否かを考える。
     一方に熱心な歓迎から同じような受入をする傾向は、ある時、地方的な単調という一種の重苦しさになってしまう。藤村の直観である。気質を異にする人でも同じような話をするし、また、理屈っぽい人もいる。人の心が激しいからであり、青年会の準備をするために激しい議論もあった。
     「山に住む人々」の場面で、(2)のモデルを考える。使用判断を実行し、批判的思考の適用では、都会を経験した藤村が第三者的に信州人の気質を写生し、人物の価値や能力を評価、検討しているため、表出判断では、この場面で表出するとなる。
     信号の流れは、購読と同様に、共生の読みでも何かの分析→直感→専門家である。藤村に関し、五感分析→思弁→エキスパートという流れで「共感と批判」という共生の読みを考える。「千曲川のスケッチ」では自然や文化の認識が重要な情報となるため、シナジーのメタファーは、「島崎藤村と観察に基づく思考」にする。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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     大山・中島(2012)によると、日本文化は全般的に人間関係の中での感情的なつながりを重視する。世の中には様々な情報が氾濫しており、目標を定めて情報を取り扱い合理的に判断できれば効果は上がる。こうした判断の土台となる思考が批判的思考である。批判的思考の認知プロセスは、使用判断→批判的思考の適用→表出判断の3項目からなる。

    (2)批判的思考の認知プロセス
    状況変数(目標、文脈)→1状況解釈→2使用判断(1と2使用判断プロセス)→3批判的思考スキルの探索・選択→4批判的思考スキルと適用(問題の明確化)→5表出判断→6批判的思考行動の構成(5と6表出判断プロセス)→7批判的思考のパフォーマンス(大山・中島2012)

     「千曲川のスケッチ」によると、長野は、学問を尊重する土地柄である。師範学校の応募者数が多く、小学校の教師も報酬が良く、新聞記者による講演会もある。無論、学者も尊重の対象であるため、長野を訪れた名士たちを歓迎する勉強会は多い。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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     そして、その事象が自発行動の反応の頻度を高めるときは、強化刺激または強化子となる。例えば、お腹がすけば食事が強化刺激であり、「千曲川のスケッチ」で見ると、旅を重ねる毎に発見があるため、発見が強化子となる。
     実際に自分で行動せずに、外的刺激や他者の行動を追うときは、観察になる。観察の場面で他者が強化される(代理強化)、または、他者の行動のみを観察(モデリング)する場合は、観察者の行動が変化する。広義に捉えた場合、これらは共にモデリングになる。「千曲川のスケッチ」についてまとめると、詩から散文へのコース変更を完成させるための研究が学習と観察に二分され、別れた学習が古典的と条件付きに分かれ、一方、観察が代理強化とモデリングに二分される。

    (1)藤村の研究の樹形図
    1研究→自発行動による学習と外的刺激や他者の行動を追う観察、
    2学習→古典的と条件付き、
    3観察→代理強化とモデリング

     学習、観察を経て問題解決に進む場合、思考が考察の対象になる。思考には、共感と批判があり、共感は、難易度を問わず自身の理解に近い場合、一方批判的で効果的な文脈は、専門書を読むような難易度の高いケースである。非効果的な文脈は、その逆で、お決まりの入出力とか嘘など難易度の低いケースである。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

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    4 作者の学習や観察そして思考から考える

     「千曲川のスケッチ」の購読脳を「写生と研究」にする。島崎藤村は、写生という学習により物を観察し記憶することで自然に近づいていった。稽古としての写生は、研究であり、小諸で観察した事柄を素直にスケッチしている。
     小諸に赴任して暫くは、自分が行動し写生した内容をまとめていく。しかし、1911年(M44)に中学世界に連載されるまで、この写生の内容が人の目に触れることはなかった。「千曲川のスケッチ」に描かれているのは、1900年(M33)頃から信州滞在中に見た光景であり、視覚情報もさること、叫びや臭い、味、接触といったその他の感覚情報も考察の対象になっている。こうした感覚情報から藤村の執筆時の脳の活動を探るために、まず学習や観察の様子についてまとめてみよう。ここでは、心理統計を意識して実験心理による分析を試みる。
     人間の行動は、後天的に経験を通して変化し、この変化する過程が学習と呼ばれる。都会から小諸に赴任した藤村には、行動に変化が見られた。大山・中島(2012)によると、古典的な学習は、外的刺激によりトリガーされるのに対し、条件付き学習は、自発行動とそこから生じる関系に依存する。千曲川周辺の自然が外的刺激となり、また、自然に誘われて自発行動による旅をし、発見がある度に行動が濃くなった。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から5

     「千曲川のスケッチ」の原案を作成しながら、文章や散文の中で、例えば、雲について画家の写生と同じようなスタディに取り組んだ。そのため、全体的に当時の現実をリアルに伝える文体になっており、読者に信頼される友人となるような本である。そのため、自然主義のメンバーであり、想像力を重視した国木田独歩の「武蔵野」(1898)に比べて、「千曲川のスケッチ」は、より近代的といわれている。
     「千曲川のスケッチ」の奥書に説明がある言文一致について一言述べる。明治の新しい文学と言文一致の試みは、流れを見ると強いつながりがある。当時の文学関係者の多くがイギリス文学を目指していたころ、森鴎外は、留学先のドイツから19世紀なるものを感じ取り帰国したため、言文一致で見ると、採用するのに躊躇いがあり、歴史小説に見る転換期を待って口語体を採用した。一方、イギリス留学を経験している夏目漱石は、言文一致にあまり抵抗を感じなかった。
     文学の根底に横たわる基礎工事は、島崎藤村に言わせると、徳川時代の徘徊や浄瑠璃の作者が平談俗語を駆使し、言葉の世界に新しい光を放ったこと、国語学者が万葉集や古事記などから古い言葉の世界を今一度明るくしたことが挙げられる。そのため、藤村がスケッチを作る傍ら、口語体による言文一致の研究に向かった理由は、長い年月を経て熟慮した結果といえる。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から4

    3 言文一致の研究-文体の確立を目指して

     島崎藤村は、長野県木曽郡山口に生まれ、学問を東京の明治学院で修めた後、詩人、小説家として活躍した自然主義を代表する作家である。小説に先んじて詩集「若菜集」(1897)などを発表し、1899年(M32)4月に赴任した信州・小諸での研究成果として写生文「千曲川のスケッチ」を書いた。因みに藤村は、木曽川の畔で生まれたため、川に寄せる詩も多い。
     平野(2004)によると、「千曲川のスケッチ」は、吉村樹に語りかける形式で書かれ、赴任してからの一年で小諸の自然を季節と共に観察し写生した。その間に詩から散文へ創作の対象を動かして自身の文体を確立する。無論、藤村の文体は、何度も修正を繰り返し整理されたものであり、一枚の絵を説明するように口語文で読者の五感に語りかける。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から3

     例えば、「おくめ」という架空の女が河を泳いで恋人のもとに通う心情を詠い、積極的で能動的に男を愛し、心身ともに恋の炎に焦がされる激しい女の情熱が形象化されている。こうした境遇が藤村の同情をかい、苦渋の時代を経験した作者が他人事ならぬと共感した理由である。男性の立場では雑念が入り混じり解決が難しかった。
     流離漂白は、現実から一歩引いて静かにものを眺めることで八方塞がりの境遇からの救済を目指している。現実を棄てて風雅の道を極めた先駆者らに追従する決意が窺える。芸術家島崎藤村の誕生であり、確立であった。そして苦渋の冬を越え、春の訪れ、生の曙が熱い思いを持って待たれた。
     「若菜集」の後も詩を書き続ける。叙情を好む藤村は、生の戦いや労働の讃歌を詩作する。しかし、厳格な規則がある雅語や単調な韻律で長編を歌うことに無理があるときには、緊張したアイディアの対立を描くのが難しいと感じるようになる。
     しかし、叙情詩では扱いきれない広くて大きな人生のテーマを処理するために、藤村は、写生によるスタディを通して小説を書いていく。1899年(M32)、信州の私塾小諸義塾に教師として赴任する。山室(1983)によれば、生活や思想に行き詰まると旅に出て転機をはかり、都会の煩わしさを避けて生活を新鮮にし、生命を新たにしようと考えた。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』の執筆脳について-自然や文化の観察者の立場から」より