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  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える11

    分析例

    入院して四カ月経過。微熱が続きカリエスの症状が出ている場面。
    この論文では、「道ありき」の執筆脳を「虚無とうつ」と考えているため、購読脳でも意味3の思考の流れ、虚無のありなしに注目する。
    同じ症状の患者に自分の経験を優しく話す思いやりの気持ちがある。
    意味1 1視覚2聴覚3味覚4嗅覚5触覚、意味2 1喜2怒3哀4楽、意味3 1虚無あり2なし、意味4振舞い 1直示2隠喩。
    疾病脳(虚無でうつ)1ある2なし。

    テキスト共生の公式

    ステップ1 意味1、2、3、4を合わせて、解析の組「虚無と愛情」を作る。
    ステップ2 うつ病の精神症状から「虚無とうつ」という組を作り、解析の組と合わせる。
    A 2聴覚+3哀+1虚無あり+1直示という解析の組を、うつ病の症状からなる虚無でうつ+うつから回復という組と合わせる。
    B 2聴覚+3哀+1虚無あり+1直示という解析の組を、うつ病の症状からなる虚無でうつ+うつから回復という組と合わせる。
    C 5触覚+3哀+1虚無あり+1直示という解析の組を、うつ病の症状からなる虚無でうつ+うつから回復という組と合わせる。 
    D 2聴覚+2怒+1虚無あり+1直示という解析の組を、うつ病の症状からなる虚無でうつ+うつから回復という組と合わせる。
    E 2聴覚+2怒+1虚無あり+1直示という解析の組を、うつ病の症状からなる虚無でうつ+うつから回復という組と合わせる。

    結果 表2については、テキスト共生の公式が適用される。

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える10

    【連想分析1】

    表3 受容と共生のイメージ合わせ

    医師の診断の疑う場面

    A わたしは、医学にはしろうとである。しかし、尿の回数が多いと言えば、少なくとも検尿ぐらいはするだろうと思った。それがいきなり尿のでなくなる薬と聞いて、この病院にいても埒があかないと考えた。
    意味 1 2、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

    B 熱がでると解熱剤、下痢をすると下痢止め、咳が出れば咳止め、というのは一番信頼できない医師のすることではないだろうか。何よりもその原因を調べた上で、適当な処置がなされなければならないはずだった。わたしが退院を考えたのは、このことだけではなかった。
    意味 1 2、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

    C その頃、私の背中がちょっとでも動かすと辺に痛むのだ。院内の外科医に見てもらうと、「神経だ。若い娘のことは、よく背中が痛むことがある。いちいち気にとめる必要はない」と言った。しかし、動かすと痛いのだから、もしかしたらカリエスではないかと尋ねてみた。
    意味 1 5、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

    D 医師は怒った。「レントゲン写真にも変化がない。神経だ」再び叱られて、いたし方なくわたしは病室に帰ってきた。わたしは、療養生活七年目であった。もう、客観的に自分の病状を捉えることができるはずである。意味 1 2、意味 2 2、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

    E 誰でも最初のうちは、病気のことがよくわからないから、いらぬ神経を使うが、少なくとも六年の経験というものは、それほど神経質にはさせないはずである。医師が何を言おうと、わたしは病状からしてカリエスだろうと見当をつけた。カリエスの患者の話を聞くと、そのほとんどが、幾度か医師の誤診にあっているのだ。意味 1 2、意味 2 2、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える9

    4 データベースからの分析

     データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている
     こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。因みにここでは森鴎外の「山椒大夫」の分析に近い方法を試みる。(花村2017)

    【データベースの作成】

    表2 「道ありき」のデータベースのカラム

    項目名  内容        説明

    文法1 名詞の格 三浦綾子の助詞の使い方を考える。
    文法2 態    能動、受動、使役。
    文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
    文法4 様相   可能、推量、義務、必然。
    意味1 五感   視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
    意味2 喜怒哀楽 感情との接点。
    意味3 思考の流れ 虚無がある、なし。
    意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
    医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「虚無と愛情」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
    情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。
    情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。未知の情報については、学習につながるためカテゴリー化する。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
    情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
    疾病脳 虚無でうつ 何もなく虚しい心境。空虚であり自己も否定する。抑うつ感、不安感、思考や意欲に障害が出る。気分障害。
    健常脳 うつから回復 気分障害からの回復。

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える8

    対処行動の分析結果 

     A発病による影響では、対処行動が①、②、③、④とバラついている。しかし、B周囲の対応からC病の回復へ進んでいくと、対処行動は⑤が多くなる。従って、三浦綾子の「道ありき」から病跡学へアプローチした場合に、高橋(2000)が説くうつ病者本人の対処行動の流れに近い分析が可能といえる。 
     なお、うつ病は、精神を安定させる神経伝達物質のセロトニンが不足すると発症する。セロトニン不足により落ち着きがなくなり、衝動的で、攻撃的になる。セロトニンの正常な放出をじゃまするものは、ストレスである。三浦綾子の場合もそういえる。

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える7

    表1 対処行動の分析3

    分類 「道ありき」から抽出した場面の病跡状況 + 対処行動

    C 前川正の喪が明けてから、綾子の病室を訪問する客の中に三浦光世という男がいた。旭川営林署の会計係である。死刑因と文通し、慰め力づけている人である。やはり腎臓結核の手術歴がある。②

    C 確かに結核は、侵入経路の大多数が肺に出る。また、肺や腸、腎臓などの臓器や骨、関節そして皮膚を侵し、胸膜炎や腹膜炎も起こす。綾子は、熱が出て寝汗もかき、血痰が増え面会謝絶になる。①

    C 病気を気づかう見舞いから、次第に三浦光世に惹かれていく。⑤

    C 微熱や寝汗はあるも少しずつ体力がついたころ、万一のために遺言を書き、歌を整理していた。自分の死体を解剖してもらいたい。解剖用死体が不足しており、死後に何かの役に立ちたいと思ったからである。⑤

    C 三浦光世にノートを渡すと、必ず治るといって読んでくれた。三浦の手紙には、最愛なるという形容が綾子の名前についていた。愛の励ましのおかげで、綾子の体は元気になり、外出もできるようになった。⑤

    C 昭和三十四年の正月、三浦の年頭の挨拶のとき、婚約式が1月25日に決まった。式が終わると、結婚式は5月24日になった。よく晴れた日曜日に教会堂で牧師の言葉に二人で深く頷いた。⑤

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える6

    表1 対処行動の分析2

    分類 「道ありき」から抽出した場面の病跡状況 + 対処行動

    B その後、入院を繰り返す綾子は、婚約者の西中一郎の死後、幼馴染の前川正という北海道大学医学部の学生に惹かれていく。このままでは死んでしまうとする綾子への愛は、信じなければならない。⑤

    B 綾子は、酒もたばこもやめる。前川正は、教会所属のクリスチャンである。綾子も教会へ通い始め、前川に薦められて伝道の書(旧約聖書)に目を通す。何もかも空なりとあり、綾子の心は引き込まれた。当初は虚無的な見方があっても、キリスト教と仏教に共通する姿を発見したことが転機となり、綾子の求道生活は、次第に真面目になっていく。⑤

    B 昭和二十五年、綾子と前川正は、以前に比べて親しくなる。旭川の保健所で週一回気胸療法を受けた。肋膜が癒着しない限り、結核患者の胸にゴム管がついた針を刺し、気胸器から空気を送り、空気が肋膜腔に入り胸を圧迫し、肺の病巣は、空気で潰される。(トーマス・マンの「魔の山」でもスイスのダボスにあるサナトリウムのベーレンス院長が気胸病の患者に同じ方法で治療をしている。)⑤

    B 馴れた医師には注意が必要である。うっかりして針を血管に刺すと、空気が血管に入り空気栓塞が起こる。また、肋膜腔内に入れる針が、肺に達することがある。呼吸する度に空気が腔内に洩れて肺を縮めやがて死んでしまう自然気胸もある。②

    B 死にたいと思っても死ねず、生きるために自分の意思を奮い立たせても、それ以外に何かが綾子の身体に加わっている。④

    B 何か計画を立てても自分の思い通りには事が進まない。西中一郎との結納の日に綾子は倒れ発病し、結婚の予定を変更した。綾子は、人間の計画を何者かが修正してくれていると考える。無論、神である。⑤

    B 昭和26年に札幌の病院に転院したころ、前川正は、綾子に生きることが人間の権利ではなく義務であると叱るように励ました。②

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える5

    表1 対処行動の分析1

    分類 「道ありき」から抽出した場面の病跡状況 + 対処行動

    A 17歳で小学校の教員になった綾子は、昭和21年3月、7年間の教員生活に別れを告げた。自分自身で教えることに確信が持てなくなったためである。6月1日、突如40度近い熱が出た。翌朝、目が覚めると、体中が痛くてリウマチだと思った。病院に行くと、医者もリウマチだと言い、ザルブロという薬を打ってくれた。 ①

    A 一週間経過してある程度の痛みは消えた。しかし、体重が七キロも痩せ微熱がなかなかひかない。当時の医者は、肺結核を肋膜とか肺浸潤と説明した。肺結核の発病は、覚悟していたことが起こることを予感させた。 ①

    A 来るべきものが来れば、誰でも自分のことを本気で大切に考える。前川正との話の中で、徹底的に身体を診断してもらうことにした。昭和26年秋、綾子の体はいっそう痩せ、目が熱で潤み頬が紅潮し、37度4分の熱が続き血痰も出た。10月20日過ぎに旭川の病院に入院した。③

    A 入院して4カ月経過後も、熱は続き痩せていた。④

    A 排尿の回数が多くなり、動くと背中が痛かった。自分ではカリエスと見当をつけた。しかし、医師は、レントゲンに影が出るまでカリエスと診断しない。①

    A 札幌の病院に転院後、血液検査、尿検査、レントゲン撮影、水検査と立て続けに検査があった。結果的には、綾子の胸部にも脊椎にも異常は認められなかった。①

    A 内科の外来で聴診器を当ててくれた医師が「空洞がある」という。②

    A 微熱があり、肩もこり、血痰も出た。背中の痛みは、ますますひどくなった。スリッパも履けず、このままだと下半身に麻痺が出て、失禁の症状になる。結局、背骨を結核菌が蝕むカリエスという診断がでる。②

    A ギブスベッドに安静にしていなければならなくなった。③

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える4

    3 病跡学へのアプローチ

     高橋(2000)は、ドイツの社会科学の礎を築いたマックス・ウェーバー(1864-1920)の精神病から病跡を捉え、うつ病者本人の対処行動を考察している。病跡学には、病理表現まで含む広義の意味と天才の精神分析を試みる狭義の意味がある。ここでは後者の立場で話を進める。
     M.ウェーバーは、政治的な雰囲気のなかに育ち、早くから政治への関心を示していた。ベルリンやハイデルベルクで法律を学び、その後、ベルリンやフライブルクで教鞭をとる。1897年ハイデルベルクへ移る際に、両親の対立に介入し父を裁き旅へと追いやった。父は、旅先で亡くなり、父を追放したという罪の意識から不眠症を患い、仕事が手につかなくなった。 
     第一次世界大戦の勃発後、M.ウェーバーは、政治活動を再開し、一連の政治評論を発表する。牧野(2006)によると、世界大戦というドイツ国民にとっての危機が政治活動に飛び込む大義を与えたからである。そして、政治活動の再開は、彼に精神の病の回復をもたらした。M.ウェーバーは、ドイツ統一に向けたワイマール憲法の起草作業に関わり、プロイセンと他の領邦からなるドイツ帝国が連邦の国家として作られた。
     高橋(2000)は、M.ウェーバーに関し、Aうつ病者本人の発病による影響、B周囲の対応、C病の回復の三分類で対処行動を分析している。この論文でも「道ありき」から抽出した場面の病跡状況を考え、それぞれの内容がどの対処行動に該当するのかを考える。うつ病者本人の対処行動は、以下の通りである。

    病気に対する周囲の人々の誤解や無理解のため患者自身が苦しむ。
    周囲にも葛藤が生じる。
    回復や社会復帰を焦ると状態が悪化する。
    病気は精神力で克服すべしとする考え方が心理的負担を増大させる。
    人生の意味を考え周囲との親密な関係を築くなど生活重視に価値観が転換するといった特徴がある。

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える3

     気分障害の発病により思考の中にも虚しい気持が常に漂っているため、この作品の執筆脳を「虚無とうつ」にする。アメリカのツング博士が提案する自己診断表、ツングの自己評価うつ病尺度(日本成人病予防協会監修2014を参照すること)を「道ありき」に適用してみよう。

    【ツングの自己評価】

     尺度の項目には、次のようなものがある。①気分が沈んで憂鬱だ、②朝方は一番気分がいい、③些細なことで泣きたくなる、④夜よく眠れない、⑤食欲は普通にある、⑥性欲は普通にある、⑦最近痩せてきた、⑧便秘である、⑨普段より動悸がする、⑩何となく疲れる、⑪気持ちはいつもさっぱりしている、⑫いつも変わりなく仕事ができる、⑬落ち着かず、じっとしていられない、⑭将来に希望がある、⑮いつもよりイライラする、⑯迷わず物事を決められる、⑰役に立つ人間だと思う、⑱今の生活は充実していると思う、⑲自分が死んだほうが他の人が楽になると思う、⑳今の生活に満足している。
     
     それぞれの項目に「めったにない」「時々そうだ」「しばしばそうだ」「いつもそうだ」という選択肢がある。選択肢には、左から右または右から左へと番号1、2、3、4が付いている。「道ありき」の内容に照らして各項目の番号を選択し合計すると、スコアは53点となり、当時の三浦綾子が中程度の抑うつ傾向にあったことがわかる。そこでシナジーのメタファーを「三浦綾子と虚無」にする。
     虚無については、「道ありき」の第三部の中でも触れている。虚無とは、自己を喪失させ滅びに導く一つの力である。虚無に気づくことは、結核や癌の発見以上に大切である。虚しい世界にいれば、家事、勉学、芸術、就業、結婚など、どの道を選んでも虚しくならずにすむ道はない。
     しかし、ハンセン病のため手足が不自由で目も見えず、人を頼らなければ呼吸しかできない人の顔が輝いているとか、がん患者が日夜平和を祈り日々時間が足りないという話がある。どうしてこの人たちは、虚無に陥らないのであろうか。彼らは、奪うことができない実存を心得ている。実存とは、真実の存在であり、永遠に実在する神のことである。三浦綾子は、神を信じるときに、虚無を克服できるとする。

    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より

  • 三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える2

    2 「道ありき」のLのストーリー
     
     人生では失うものもあれば得るものもある。例えば、病気になれば気持ちが滅入り、物事を悪く考えるようになる。三浦綾子も敗戦の翌年に肺結核の症状が出た。しかし、医師は、問診で肺結核と言わず、肺浸潤とか肋膜と説明した。肺結核と診断すれば、現代でいうがんの告知に匹敵したからである。何れにせよ、綾子は、生きる目標を失い、何もかもが虚しく思われる虚無の心境に陥った。 
     虚無的生活は、人間を駄目にする。三浦綾子曰く、全てが虚しいから、生きることに情熱はなく、何もかもが馬鹿くさくなり、全ての存在が否定的になって、自分の存在すら肯定できない。そんな時、医学生の前川正という人から聖書を薦められる。聖書は、教訓めいたことのみならず、虚無的な物の見方も含んでおり、自己を否定して追い込むと何かが開けると説く。そして綾子の求道生活も次第に真面目になっていく。そこで「道ありき」の購読脳を「虚無と愛情」にする。
     旭川での入院当初、三浦綾子自身は、結核からカリエスを発症していると思っていた。カリエスとは、骨の慢性炎症、ことに結核によって骨質が次第に溶け、膿が出るようになる骨の病である。一方、肺結核は、結核菌によって起る慢性の肺の感染症であり、多くは無自覚に起こり、咳、喀痰、喀血、呼吸促迫、胸痛などの局所症状、羸痩、倦怠、微熱、発汗または食欲不振、脈拍増加などの一般症状を呈する。カリエスは、症状が相当進まないと、医師はそのように診断しない。
     札幌に転院してから熱が続き体は痩せ血痰も出て排尿の回数が多くなり、夜だけで7、8回起きることがあった。病院では、血液検査、尿検査、1.8リットルの水を飲む水検査などの検査が続く。体は、ますます痩せ細り、胸部に空洞が判明した。背中も痛み、下半身に麻痺が来て失禁も伴い、まさにカリエスである。絶対安静の診断が下される。こうした身体疾患が原因となり、気分障害も発症している。
     
    花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より