カテゴリー: 研究

  • 三浦綾子の「道ありき」の相関関係について4

    A 言語の認知(思考の流れ):1ある、2ない → 2、3
    B 人工知能(気分障害):1ある、2ない → 5、0

    ◆A、Bそれぞれの平均値を出す。
    Aの平均:(2 + 3)÷ 2 = 2.5
    Bの平均:(5 + 0)÷ 2 = 2.5
    ◆A、Bそれぞれの偏差を計算する。偏差=各データ-平均値
    Aの偏差:(2 – 2.5)、(3 – 2.5)= -0.5、0.5
    Bの偏差:(5 – 2.5)、(0 – 2.5)= 2.5、-2.5
    ◆A、Bの偏差をそれぞれ2乗する。
    Aの偏差2乗 = 0.25、0.25
    Bの偏差2乗 = 6.25、6.25
    ◆AとBの偏差同士の積を計算する
    (Aの偏差)x(Bの偏差)= -1.25、-1.25
    ◆AとBを2乗したものを合計する。
    Aの偏差を2乗したものの合計 = 0.25 + 0.25 = 0.5
    Bの偏差を2乗したものの合計 = 6.25 + 6.25 = 12.5
    ◆Aの偏差xBの偏差の合計を計算する。-0.75 + -0.75 = -1.5

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

  • 三浦綾子の「道ありき」の相関関係について3

    3 小説の場面に適用する 

    表1 求道生活からの転機
    A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。 意味3 1、人工知能 1

    B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。伝導の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。 意味3 1、人工知能 1

    C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
    意味3 2、人工知能 1

    D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝導の書にわたしは感じた。
    意味3 2、人工知能 1

    E この伝導の書の終わりにあった、「何時の若き日に、何時の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
    意味3 2、人工知能 1

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

  • 三浦綾子の「道ありき」の相関関係について2

    2 相関の作り方

     シナジーのメタファーのために作成しているデータベースは、データの種類で見ると、俗に言う測れないカテゴリーデータからなる。数量データといわれる身長、体重、気温、湿度などとは異なり、値が連続ではなく飛び飛びで離散的となる。前野(2012)によると、カテゴリーデータは、対象の性質を表したり、現象や区別を表したりする。性別、好き、嫌い、うまい、まずい、おもしろいなどあるものの性質や現象が示される。
     相関とは原因から結果が生じ、それが互いに関係しあっていることをいう。また、相関関係があるとは、ある測定値の変化に対して他の測定値も変化する場合に使われる。相関の強さは、ピアソンの相関係数で表す。合わせて共分散という統計用語が重要になる。 

    (1) 共分散の公式
    共分散=[(xの各データ-xの平均値)x(yの各データ-yの平均値)]の和/データ数
       =[(xの偏差)x(yの偏差)]の和/データ数
       = xとyの偏差積の和/データ数

    正の相関があると0より大きく、負の相関があると0より小さくなる。

    (2) 相関係数(ピアソン)
    相関係数=XYの偏差平方和/√(Xの偏差平方和)x(Yの偏差平方和)

    「道ありき」の問題解決の場面を使用して、簡単な例を見てみよう。

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

  • 三浦綾子の「道ありき」の相関関係について1

    1 先行研究

     虚しい求道生活からの転機を解く「道ありき」のデータベースの一場面を使用し、既存の研究と照合すると、執筆時の三浦綾子(1922-1999)には、躁鬱を繰り返す気分障害による思考の流れが確認できる。
     この小論では、同じデータベースを使用して、相関関係を考察する。言語の認知のカラムは、思考の流れ、即ち、課題や問題が与えられたとき生じる一連の精神活動で、周囲の状況に応じた思考の流れは、虚無が1ある、2ない、情報の認知のカラムは、人工知能(気分障害)が1ある、2ないである。

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて7

    3 まとめ
     
     リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、「道ありき」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。

    【参考文献】

    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    三浦綾子 道ありき 新潮文庫 2004

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて6

    2.2 標準偏差による分析

     グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
     求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

    ◆グループA:五感(1視覚と2その他)
    場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
    場面2(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
    場面3(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    【数字からわかること】
    場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報が多いため、「道ありき」は、五感の中で視覚の情報が鍵になる作品といえる。

    ◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
    場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
    場面2(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面3(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
    【数字からわかること】
    「道ありき」は、闘病生活に人生を重ねた作品であるため、各場面を通して、隠喩が少ないことがわかる。

    ◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
    場面1(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
    場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
    場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
    【数字からわかること】
    場面1、場面2、場面3を通して、新情報が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

    ◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
    場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
    場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
    場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
    【数字からわかること】
    三浦綾子は、「道ありき」執筆中、場面の最後で問題解決を試みていることから、場面単位で作品の構成を考えている。

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて5

    場面3 綾子の退院

    北大病院を退院して旭川に帰ったわたしは、精密検査の結果を、家人や三浦光世にあらためて報告した。血痰や喀血で、しばしば死の恐怖をわたしに与えた空洞が、いまや完全に治っていること、カリエスも、七年にわたってギプスベッドに忍耐したおかげで、堅実に治っていることをお互いに奇跡と喜び合った。
    A2、B1、C2、D1

    ただ、結核性腹膜炎から婦人科の方が少し冒されているため、引き続いて超短波の療法を、旭川の病院で受けることになった。毎日の通院が、わたしの体を次第に鍛えて行った。十貫足らずだった体重が、いつしか十四貫にまでなっていった。A1、B1、C2、D2

    明けて昭和三十四年の正月である。三浦が一番先に年賀に来てくれた。わたしたちは新年初めての礼拝を、二人で待った。聖書を共に読み、賛美歌を歌い、共に祈った。わたしは彼に尋ねた。「来年のお正月も来て下さるでしょうね。」A1、B1、C2、D2

    あべかわ餅を食べていた彼は、箸をとめ黙って首を横にふった。「まあ!来てくださらないの?」わたしは驚いて彼を見た。彼はおだやかに笑って言った。「来年の正月は、二人でこの家に年賀に来ましょう」「え?二人で?」彼の言葉にわたしはハッとした。何とも言えない喜びが胸にこみあげた。A1、B1、C2、D1

    三浦光世が帰った後、わたしは母に彼の言葉を告げた。夕食の時、母が父に言った。「とうさん、今年はタンスを買わなくてはなりませんよ」「タンスを?どうしてだ」「だって、綾ちゃんがと嫁に行くんですって」「綾子がお嫁に?相手は誰だ、人間か」A1、B1、C2、D1

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて4

    場面2 前川正の退院

    わたしは、曾つて自分が、自殺を計ったことを思い出した。一人の人間が健康を取り戻すのに、これほどの苦しみを経なければならない。何とももったいないことを考えたのかと、その頃になってやっと自分の愚かさが悔やまれたりするのだった。A2、B2、C1、D2

    彼の二回目の手術が終わった翌朝だった。うつらうつらしているわたしの病室に、彼の母と、弟さんが入って来た。私の所から借りたゴザを返しに来たという。そのゴザは、彼の母が病室に敷いて使うのに、わたしがお貸ししたのだった。A1、B1、C2、D1

    驚いたわたしが、「どうして、もういらないのですか」と聞くと、「正が先ほど亡くなりましたから、もういらなくなったのです」と、おっしゃって、弟さんと二人で、わたしのベッドにつかまって泣かれるのだった。
    A1、B1、C2、D2

    「そんなはずがありません」
    そう叫ぼうおもうのだが、なかなか声にならない。やっと声になったかと思った時、わたしは目をさました。いまのが夢だったとは思えないほど、あまりにありありとしていて、わたしは言いようのない不吉な予感がした。いやな夢を見たというより、いやな幻を見せられたという感じだった。A2、B1、C1、D2

    だが、わたしの夢とは反対に、彼は再び日に日に元気になり、やがて三月の末に退院することになった。彼の父が迎えに来られ、わたしを見舞ってくださった時、わたしは目を真っ赤に泣きはらしていた。大きな手術も無事に終って、元気に反っていくのだから、わたしは誰よりも喜んでいいはずだった。それなのに、なぜかわたしは泣けて仕方がなかった。A1、B1、C2、D1

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて3

    2 場面のイメージを分析する

    2.1 データの抽出

     作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。

    場面1 求道生活の転機

    言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。A1、B1、C2、D1

    つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。伝導の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。A1、B1、C2、D1

    わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
    A1、B2、C2、D1

    虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝導の書にわたしは感じた。
    A1、B2、C2、D1

    この伝導の書の終わりにあった、「何時の若き日に、何時の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
    A1、B2、C2、D1

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

  • 三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて2

    1.2 標準偏差

     標準偏差は、グループの全ての値によってバラツキを決めていく。グループの個々の値から算術平均がどれだけ離れているのかによって、バラツキの大きさが決まる。
     グループd(1、1、4、7、7)の算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、1-4=-3、4-4=0、7-4=3、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均してやると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、-3、0、3、3を全部足すと0になるため、さらに工夫が必要になる。
     例えば、絶対値をとる方法とか値を2乗してマイナスの記号を取る方法がある。2乗した場合、9、9、0、9、9となり、平均値を求めると、5で割って7.2となる。但し、元の単位がcmのときに、2乗すればcm2となるため、7.2を開いて元に戻すと、√7.2 cm2≒2.68 cmというバラツキの大きさになる。
     
    (1) 標準偏差の公式
    σ=√Σ (Xi-X)2/n

     次にグループe(1、4、4、4、7)について見てみよう。算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、4-4=0、4-4=0、4-4=0、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均すると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、0、0、0、3を全部足すと0になるため、それぞれを2乗して、9、0、0、0、9として平均値を求め、5で割って3.6を求める。
     但し、元の単位がcmのときに2乗すれば、cm2となるため、3.6を開いて元に戻すと、√3.6 cm2≒1.90 cmというバラツキの大きさになる。従って、グループdの方がグループeよりもバラつきが大きいことになる。
    以下では、標準偏差(1)の公式を使用して、作成した三浦綾子の「道ありき」のデータに関するバラツキから見えてくる特徴を考察していく。 

    花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より