三浦綾子の「道ありき」の多変量解析-クラスタ分析と主成分8


◆場面3

北大病院を退院して旭川に帰ったわたしは、精密検査の結果を、家人や三浦光世にあらためて報告した。血痰や喀血で、しばしば死の恐怖をわたしに与えた空洞が、いまや完全に治っていること、カリエスも、七年にわたってギプスベッドに忍耐したおかげで、堅実に治っていることをお互いに奇跡と喜び合った。 
A2、B1、C2、D1

ただ、結核性腹膜炎から婦人科の方が少し冒されているため、引き続いて超短波の療法を、旭川の病院で受けることになった。毎日の通院が、わたしの体を次第に鍛えて行った。十貫足らずだった体重が、いつしか十四貫にまでなっていった。 A1、B1、C2、D2

明けて昭和三十四年の正月である。三浦が一番先に年賀に来てくれた。わたしたちは新年初めての礼拝を、二人で待った。聖書を共に読み、賛美歌を歌い、共に祈った。わたしは彼に尋ねた。「来年のお正月も来て下さるでしょうね。」 A1、B1、C2、D2

あべかわ餅を食べていた彼は、箸をとめ黙って首を横にふった。「まあ!来てくださらないの?」わたしは驚いて彼を見た。彼はおだやかに笑って言った。「来年の正月は、二人でこの家に年賀に来ましょう」「え?二人で?」彼の言葉にわたしはハッとした。何とも言えない喜びが胸にこみあげた。 A1、B1、C2、D1

三浦光世が帰った後、わたしは母に彼の言葉を告げた。夕食の時、母が父に言った。「とうさん、今年はタンスを買わなくてはなりませんよ」「タンスを?どうしてだ」「だって、綾ちゃんがと嫁に行くんですって」「綾子がお嫁に?相手は誰だ、人間か」 A1、B1、C2、D1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の「道ありき」の多変量解析-クラスタ分析と主成分」より


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