作家が試みるリスク回避について-魯迅、森鴎外、トーマス・マン1


背景

 20世紀前半は、二度の大戦を含めて世界中で戦争が繰り広げられた。当時の社会について東西の知識人たちはどのような危機感を持っていたのであろうか。小論に登場する魯迅(1881-1936)と森鴎外(1862-1922)とトーマス・マン(1875-1955)は、各国を代表する作家であり、シナジーの研究のために私がこれまで分析してきた人たちである。欧米とアジアのそれぞれの比較ではなく、チャールズ・パーシー・スノー(1905-1980)を調整役に置いて異文化的に話をまとめながら、三人の作家が思い描いた危機感とそれに対する解決策について考察する。
 なおこの小論は、2013年の延辺大学で開催された中日韓朝言語文化比較研究国際シンポジウムの論集に掲載されている。

1 20世紀前半の背景

 周知のように、20世紀前半とは列強各国が軍事主義に走り、戦争が繰り返された時代である。日本は幕末から明治にかけて西洋文明を取り入れて、列強国に匹敵するほどまで経済や技術が発達した。日清戦争(1894-1895)や日露戦争(1904-1905)がその例である。戦争特需による経済成長のおかげで日本国民の意識も高まり、軍事政権は連合国側に立って第一次世界大戦(1914-1918)に参戦する。
当時の中国も清朝末期の古い中国と孫文率いる新しい中国が辛亥革命(1911)を境に内戦を繰り返していた。清朝は1912年に打倒されたが、その後、中国を統治する勢力が生まれなかったため、日本をはじめとする列強国との侵略戦争がそこに重なった。
 一方、ヨーロッパでは、1914年6月に起こったサラエボ事件をきっかけにして、第一次世界大戦が始まった。そのため中国に駐留するヨーロッパの部隊は、兵士の増員もなく弱体化していった。そこで、日本は中国に21ヵ条の要求を課して大陸への進出を強化していく。これに対して、1919年5月4日、パリ講和条約で旧ドイツ租借地の山東省の権益を日本が継承することになったのを受けて、天安門で北京大学の学生が反日のデモを展開した。
 中国では当然のことながら封建主義や帝国主義が時代の思潮になった。国民党と共産党という二つの抗日勢力が誕生して、内戦が慢性的に続いていく。その間に関東軍が中国東北部を占領して、新京(長春)を都とする満州国(1932-1945)が建国された。こうした時代の背景は、今でも続く抗日運動の原点であろう。
 ヨーロッパでは、第一次世界大戦が早期に終結すると予想された。しかし、各国の戦術面が格段と進歩したために長期戦となった。そのためヨーロッパでも人々に過酷な労働を強制した軍需産業による戦争特需が経済を支えた。また、第一次世界大戦中にスイスのチューリッヒで起こった芸術運動(ダダイズム)は、戦争に対する反抗であり、戦争を愚考として、既存の芸術よりも攻撃や破壊を意識した。

花村嘉英(2014)「20世紀前半に見る東西の危機感」より


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です