3 ミクロとマクロ
ヘンドリック・フェルブールト首相(在任期間は1958-1966)に象徴されるアパルトヘイト全盛の時代は、政治や法律によって南アフリカ国民は強く拘束されていた。意欲や計画があっても、挫折や頓挫は日常のことで、状況を打開するまでには至らない。
アフリカ民族会議やそこから分裂した過激派のパンアフリカ会議と並ぶ白人による反アパルトヘイト運動、アフリカ抵抗運動も、当時、盛んにサボタージュを繰り返した。1964年7月の全国一斉捜査で、活動家が逮捕され、その中にアフリカ抵抗運動の指導者マークも含まれていた。福島(1994)によると、彼の所持していた文書や供述からアフリカ抵抗運動の活動が明るみになり、10年前後の判決を受けた。
転職を繰り返すマックスは、こうした白人のサボタージュ運動に属していて、運動初期の段階で逮捕された。結局、死を選ぶため、社会に適応する能力がなかったことになる。
重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活が原因となる適応障害は、個人にとって重大な出来事(就学、独立、転居、結婚、離婚、失業、重病など)が症状に先んじて原因となる。本人の性格や考え方の癖、また、ストレスの感じ方も大きな影響を及ぼす。日本成人病予防協会(2014)によると、一般的に誰でもつらい出来事や思いどおりにならないこと(社会生活上のストレス)により、不安やイライラが強くなったり、憂鬱になったり、ときには投げ出したくなったりもする。しかし、適応障害の場合、ストレスに対する反応が強く現れ、精神的にも身体的にも特有の症状がみられる。
表2 適応障害の症状
適応障害 精神症状
症状 憂鬱な気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりする。ほかに気分の落ち込み、集中力の低下、自信の欠如、意欲の低下、対処能力の低下などがみられる。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもある。
適応障害 身体症状
症状 不安が強く緊張が高まると、ドキドキしたり、汗をかいたり、めまいなどの症状がみられる。ほかにも倦怠感、頭痛、腰痛、焦燥感、神経過敏、怒り、不眠、起床困難、食欲不振、下痢などがみられる。
悪化した場合 会社では職場不適応、学校では不登校、家庭では別居や離婚といった形に変わり、ひどくなると酒やギャンブルの中毒に陥ることもある。ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているため、その原因から離れると、症状は次第に改善する。ストレスの原因となっている環境から離れられない場合には、症状が慢性化することもある。
どうにもならない無限の状態を表す「空間と時間」は、意欲を介して適応能力となり、理解、思考、判断などの総合的な能力が、南アフリカの将来を見据えたゴーディマのリスク回避につながっていく。作家もエキスパートであり、作品執筆時には特定の脳の活動があるためである。なお、一般的に空間は右脳が処理をし、時間は感覚的にも論理的にもイメージできるため、左右の脳が関係する。
【Lのストーリー】
◇縦に受容:言語文学(ゴーディマ)→言語の認知→空間と時間(無限)
◇横の共生:空間と時間→情報の認知→意欲と知能(リスク回避と適応能力)
社会系や理系と同様に、文学の分析にもミクロとマクロの研究を想定している。ミクロは、対照言語の専門分野が研究の対象となり、マクロは、一つが地球規模、人文の場合、国地域の比較(東西南北)であり、また一つが研究のフォーマットのシフトが評価項目となる。フォーマットのシフトとは、Tの逆さの認知科学の定規を縦横に崩して、縦に言語の認知、横に情報の認知をとるLのフォーマットのことであり、購読脳(受容)と執筆脳の活動(共生)を考察の対象にする。(図1と図2を参照すること。)
筆者はこれまで文学作品をランダムに比較研究し、その際に作家を一種のエキスパートと見なして、作品に見るリスク回避という内容で論文を作成している。三人とも20世紀前半という同時代に活躍した作家である。一般的に作家は、エキスパートとしてしばしば警鐘を鳴らすことがある。例えば、魯迅は、作家として中国人民を馬虎という精神的な病から救済するために小説を書き、鴎外は、明治天皇や乃木大将が亡くなってから、後世に普遍性を残すために歴史小説を書いた。また、トーマス・マンは、20世紀の最初の四半世紀に、ドイツの発展が止まることを危惧して論文や小説を書いている。
ミクロは、研究者個人の工夫が評価の対象となる。一方、マクロの場合は、誰が考えてもある作家が作品を執筆している時の脳の活動は〇〇である、というように結論づけたい。これをシナジーのメタファーと読んでいる。例えば、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、そして「鴎外と感情」がこれまでに考案したシナジーのメタファーである。 (花村 2005、花村 2015、花村 2017)
花村嘉英(2018)「『ブルジョワ世界の終わりに』から見たゴーディマの意欲について」より