ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する6


2.4.2 場の理論 

 卒業論文でも取り上げた場の理論について見てみよう。言語の記号は、動物の鳴き声のような自然の記号に対して人為的といわれる。この人為的な記号は、精神に対して意識の対象を形成する。このような精神的な世界は、どんな法則によって作られているのであろうか。言語については、個人の行為ではなく、ドイツ民族とか日本民族が使用する母国語を想定する必要がある。人為的記号は、個人の生活を越えた持続性とか集団全体の共有物という特徴を持っている。
 言語社会には音的な言語手段というものが存在し、それがその言語社会の他のメンバーに伝えられることは明白である。しかし、意味内容がいかにして限定され規定されているのか、母国語の世界像全体から考察しなければならない。それが場の理論である。つまり、それが一つの構造全体から生じてくる価値となる。全体の観点から、相互に作用し合うような全体という形で分節されている。このような母国語の言語手段の集まりをヴァイスゲルバーは、言語の場と呼んでいる。(池上1980、244)
 言語の場の考え方は、語彙レベルのみならず統語論においても重要であり、統語の場についても触れている。成績評価の語彙は、段階違いのみならず、一文の中に入りかつ状況を踏まえることで意味内容に違いが見られる。

(6) Der Aufsatz ist mit “gut” bewertet. (作文は良の評価で合格した。)

(6)は、先にも触れた段階別の評価により“gut” の意味内容が微妙に異なることがある。また、これに(6)の文を使用する状況が意味の調節のために加わる。例えば、ほとんどの学生が優であれば、あまりできる人ではないし、優が数人であれば、クラスの中で平均以上の評価になる。つまり、語彙のレベルよりも統語レベルの場の法則は、意味内容の微妙な違いをより複合的に評価することができる。無論、ヴァイスゲルバーは、言語の場には隙間があることも認めている。

花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より


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