1 はじめに
中国の大学で中国人に日本語を教えてかれこれ十年になる。これを機に母国語による個人や民族の教育を目指したドイツのレオ・ヴァイスゲルバー(1899-1985)の論文を再考してみたい。ヴァイスゲルバーについては、立教大学文学部ドイツ文学科の卒業論文(1985)で取り上げた研究テーマである。
当時は、ドイツ語の意味論に関心があった。トリーアが中世の形容詞と名詞を語彙レベルで研究したのに対し、ヴァイスゲルバーは、現代のドイツ語を単語から構文まで研究の対象にした。そこでこの小論では、日本語教育の現場で約10年中国語話者向けの教授法に従事した私の経験知とヴァイスゲルバーの母国語教育を照合し、卒業論文から始まる私の研究実績の区切りを作りたい。主要な考察対象は、言語の運用とし、中国で実践している日本語教育とヴァイスゲルバーが目指した母国語へのアプローチを関連づけて論じていく。
花村嘉英(2018)「ヴァイスゲルバーから日本語教育を再考する」より