心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える4


2.3 「千曲川のスケッチ」の登場人物間で理解度が違う

 「千曲川のスケッチ」は、作者自身が信州の小諸に赴任してから文体の確立を目指して綴った自然や文化の観察記録である。ここでは、この小論の研究テーマ、藤村と都会にいる友人間で理解度に違いがあるかどうかについて作成したデータベースを基に考察していく。 

解答 藤村と都会にいる友人とで理解度が違う

表1 具体度1

私は今、小諸の城址に近いところの学校で、君の同年位な学生を教えている。君はこういう山の上への春がいかに待たれて、そしていかに短いものであると思う。四月の二十日頃に成らなければ、花が咲かない。梅も桜も李も殆ど同時に開く。城址の懐古園には二十五日に祭があるが、その頃が花の盛りだ。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

すると、毎年きまりのように風雨がやって来て、一時にすべての花を浚って行って了まう。私達の教室は八重桜の樹で囲繞されていて、三週間ばかり前には、丁度花束のように密集したやつが教室の窓に近く咲き乱れた。休みの時間に出て見ると、濃い花の影が私達の顔にまで映った。学生等はその下を遊び廻って戯れた。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

殊ことに小学校から来たての若い生徒と来たら、あっちの樹に隠れたり、こっちの枝につかまったり、まるで小鳥のように。どうだろう、それが最早もうすっかり初夏の光景に変って了った。一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋もれていた。→強い理解2、弱い理解1 藤村2、友人1

私の教えている生徒は小諸町の青年ばかりでは無い。平原、小原、山浦、大久保、西原、滋野しげの、その他小諸附近に散在する村落から、一里も二里もあるところを歩いて通って来る。こういう学生は多く農家の青年だ。学校の日課が済むと、彼等は各自の家路を指して、松林の間を通り鉄道の線路に添い、あるいは千曲川の岸に随ついて、蛙の声などを聞きながら帰って行く。→弱い理解1、理解なし0 藤村1、友人0

山浦、大久保は対岸にある村々だ。牛蒡ごぼう、人参などの好い野菜を出す土地だ。滋野は北佐久の領分でなく、小県の傾斜にある農村で、その附近の村々から通って来る学生も多い。ここでは男女が烈しく労働する。君のように都会で学んでいる人は、養蚕休みなどということを知るまい。→弱い理解1、理解なし0 藤村1、友人0

花村嘉英(2020)「心理学統計の検定を用いて島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を考える」より


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