6 国際貿易
6.1 国際貿易と日本円
A 日本の貿易の構造
経済データによると、2006年の日本の輸出商品は、輸送用機器24.2%、電気機器21.4%、一般機器19.7%であり、これらだけで輸出の65.3%ものシェアを占めている。輸送用機器の中で自動車の輸出が16.3%に達している。一方、輸入商品は、機械機器28.5%、鉱物性燃料27.7%、食料品8.5%となっており、これらは輸入全体の64.7%を占めている。
天然資源に乏しい日本が鉱物性燃料を多く輸入するのは従来からよく知られたことであるが、機械機器の輸入はそれを上回っている。これは、原材料を海外から輸入してそれらを加工し、工業製品などの最終財を生産して輸入するという加工貿易中心の貿易構造が大きく変化したことを意味している。
B FTAの増加の理由
自由貿易協定(FTA)は域内での関税などの貿易障壁を軽減することにより、域内での貿易を活性化させる効果、いわゆる貿易創造効果を持っている。また、域内では貿易取引の拡大により企業間の競争を促進し、市場構造をより競わせる効果、いわゆる競争促進効果を持っているためである。
C 国際通貨体制下での日本円の歩み
1872年(M4)、新貨条例を実施し、新しい通貨を円と決めた。1円=1ドルであった。1897年(M30)の貨幣法で正式に金本位制を採用した。1円=2ドルと対ドルで円の価値は半減した。1914年、第一次世界大戦がはじまると、各国は金の輸出を禁止した。日本は、1930年に金輸出解禁を断行したが、1931年に金輸出再禁止を実施した。第二次世界大戦直前、世界情勢が不安定だからである。
第二次世界大戦後、米国は、強力な経済、政治、軍事の下で国際通貨体制、いわゆるブレトンウッズ体制を構築した。これには二つの構成要素がある、第一は、金との交換性を持つ米国ドルを国際通貨にすることであり、第二には、各国通貨を米国ドルと固定することである。日本円に対しては、1円=360ドルの時代が始まった。
しかし、戦後、物不足を背景にして物価が急騰し、円が信用を失った。1946年2月に日本政府は、金融緊急措置を断行し、5円札以上の日銀券を強制的に金融機関に預けさせ、一人100円まで新円と取り換えて、残りは封鎖した。これにより、インフレが鎮静化し、1949年に1円=360ドルという為替レートが設定された。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より