3 「ヨセフとその兄弟」に見る旧約聖書との違い
この小論では、「ヤコブ物語」と旧約聖書の創世記の記事を照合しながら、外枠は旧約聖書の創世記であって、その中の要素が異なるケースをいくつか拾ってみる。それがファジィ測度でいう作業効率の考え方に適応するためである。
◆ ヨセフの父ヤコブは、神からイスラエルという名をつけられる。ヤコブが兄エサウのもとへ行く際、妻と子供を連れてヤボクの渡しを渡る。そこである人と組打ちして、祝福を求める。その人が名前を尋ねるとヤコブと答えた。その人は神と戦い給うイスラエルと名乗るようにいう。もものつがいが外れ、神と人との力の争いに勝ったからである。(旧約聖書 創世記三十二章)
◇ 小説は少し違う。ヤコブが戦い取ったこの名は、その男が生み出したものではなく、好戦的な砂漠の一種族ベドワン人のものであった。“Der Name aber, den Jahu’s beduinische Krieger sich zugelegt, sollte, zum unterscheidenden Merkmal reineren und höheren Ebräertums, zur Kennzeichnung von Abrahams geistigem Samen werden, ebendadurch, daß Jaakob in schwerer Nacht am Jabbok ihn sich hatte zugestehen lassen…” (S. 132) イスラエルという称号は、ヤコブがヤボクの戦いで自分の方へ奪い取ったことにより、高級なヘブライ精神を表す標識、アブラハムの精神的な末裔の印を帯びることになった。(第二章ヤコブとエサウ ヤコブの素性)
花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より