トーマス・マンの「魔の山」の多変量解析-クラスタ分析と主成分2


2 トーマス・マンのイロニーとファジィ

① トーマス・マンのイロニーを一種の推論と見なして、テキストのダイナ ミズムを考察していく。本書は、「魔の山」を題材とするが、それは、「魔の山」がトーマス・マンの全集においてイロニーの交差点と見なされているからである。(Baumgart 1964)  Frommer (1966 ) によれば、 諸々の対象は論理的に共存できないが、それを可能にするためにイロニーが使われる。イロニーは、最終的な決定を知らない。(それ故に、一種の推論となる。)「AでもなければBでもない」とか「AでもありBでもある」の観点を対話の単位と結びつける。すると、双方の側面に対して留保することにより、両方へ同時に接近することができるようになる。これは、美的で中立な表現として主人公ハンス・カストルプのイロニーとなる。そして、その都度、他方を批判するために、双方の観点を交互に自分のものとし、彼自身の中で二重に矛盾した社会参加(アンガージユマン)の表現になっていく。
② 一方、これまで理論言語学の枠組みでイロニーを表現することは難しかった。(Hamm 1989) しかし、トーマス・マンのイロニーとZadehのファジィ理論の間に複数の共通項(イロニーの原理)が見い出せることから、本書では、トーマス・マンのイロニーを形式論で表記するためにファジィ理論を採用し、テキスト(「魔の山」)のダイナミズムを考察していく。

花村嘉英(2019)「トーマス・マンの「魔の山」の多変量解析-クラスタ分析と主成分」より


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