三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える10


【連想分析1】

表3 受容と共生のイメージ合わせ

医師の診断の疑う場面

A わたしは、医学にはしろうとである。しかし、尿の回数が多いと言えば、少なくとも検尿ぐらいはするだろうと思った。それがいきなり尿のでなくなる薬と聞いて、この病院にいても埒があかないと考えた。
意味 1 2、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

B 熱がでると解熱剤、下痢をすると下痢止め、咳が出れば咳止め、というのは一番信頼できない医師のすることではないだろうか。何よりもその原因を調べた上で、適当な処置がなされなければならないはずだった。わたしが退院を考えたのは、このことだけではなかった。
意味 1 2、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

C その頃、私の背中がちょっとでも動かすと辺に痛むのだ。院内の外科医に見てもらうと、「神経だ。若い娘のことは、よく背中が痛むことがある。いちいち気にとめる必要はない」と言った。しかし、動かすと痛いのだから、もしかしたらカリエスではないかと尋ねてみた。
意味 1 5、意味 2 3、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

D 医師は怒った。「レントゲン写真にも変化がない。神経だ」再び叱られて、いたし方なくわたしは病室に帰ってきた。わたしは、療養生活七年目であった。もう、客観的に自分の病状を捉えることができるはずである。意味 1 2、意味 2 2、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

E 誰でも最初のうちは、病気のことがよくわからないから、いらぬ神経を使うが、少なくとも六年の経験というものは、それほど神経質にはさせないはずである。医師が何を言おうと、わたしは病状からしてカリエスだろうと見当をつけた。カリエスの患者の話を聞くと、そのほとんどが、幾度か医師の誤診にあっているのだ。意味 1 2、意味 2 2、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1

花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より


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