気分障害の発病により思考の中にも虚しい気持が常に漂っているため、この作品の執筆脳を「虚無とうつ」にする。アメリカのツング博士が提案する自己診断表、ツングの自己評価うつ病尺度(日本成人病予防協会監修2014を参照すること)を「道ありき」に適用してみよう。
【ツングの自己評価】
尺度の項目には、次のようなものがある。①気分が沈んで憂鬱だ、②朝方は一番気分がいい、③些細なことで泣きたくなる、④夜よく眠れない、⑤食欲は普通にある、⑥性欲は普通にある、⑦最近痩せてきた、⑧便秘である、⑨普段より動悸がする、⑩何となく疲れる、⑪気持ちはいつもさっぱりしている、⑫いつも変わりなく仕事ができる、⑬落ち着かず、じっとしていられない、⑭将来に希望がある、⑮いつもよりイライラする、⑯迷わず物事を決められる、⑰役に立つ人間だと思う、⑱今の生活は充実していると思う、⑲自分が死んだほうが他の人が楽になると思う、⑳今の生活に満足している。
それぞれの項目に「めったにない」「時々そうだ」「しばしばそうだ」「いつもそうだ」という選択肢がある。選択肢には、左から右または右から左へと番号1、2、3、4が付いている。「道ありき」の内容に照らして各項目の番号を選択し合計すると、スコアは53点となり、当時の三浦綾子が中程度の抑うつ傾向にあったことがわかる。そこでシナジーのメタファーを「三浦綾子と虚無」にする。
虚無については、「道ありき」の第三部の中でも触れている。虚無とは、自己を喪失させ滅びに導く一つの力である。虚無に気づくことは、結核や癌の発見以上に大切である。虚しい世界にいれば、家事、勉学、芸術、就業、結婚など、どの道を選んでも虚しくならずにすむ道はない。
しかし、ハンセン病のため手足が不自由で目も見えず、人を頼らなければ呼吸しかできない人の顔が輝いているとか、がん患者が日夜平和を祈り日々時間が足りないという話がある。どうしてこの人たちは、虚無に陥らないのであろうか。彼らは、奪うことができない実存を心得ている。実存とは、真実の存在であり、永遠に実在する神のことである。三浦綾子は、神を信じるときに、虚無を克服できるとする。
花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より