3.2 狂人と食人の非決定論(初期値敏感性)
狂人の言動と統合失調症の症状を重ねて考えてみよう。表3の5つの症状は、狂人の言動からも読み取れる。例えば、「俺を食おうと思っている」とか「俺を自殺に追い込もうとしている」という狂人の思いは、些細なことでも自分を貶めるための仕業と思い込んでしまう妄想気分である。
他の雑音には目もくれず、特定の刺激だけに焦点を絞る注意障害についても、狂人が赵貴翁や道行く人または子供たちの目つきにばかり気を取られることから読み取れる。20年前の古久先生の出納簿を踏んづけたことも頭を過ぎる(例、(3))。
【脳の活動②】 注意障害の認知プロセス
①知覚と注意
【知覚】赵貴翁の目つきが俺を怖がっている。
【注意】比較や研究。
②記憶と学習
【外部からの情報】子供たちも目つきそうであった。目つきが赵貴翁と同じである。小作人と兄の目つきも外のあの連中と全く同じ目だ。
【スキーマ】目つき
【既存の知識】赵貴翁の目つきと古久先生の出納簿。
【学習】彼らは怖がるような恐ろしい目つきで俺を睨む。
③計画と推論
【計画】物事を研究する。
【問題分析】どうして俺を睨むのか。彼らの親たちが教えたのだ。
【問題解決】善人をけなせば圏点が付き、悪人を弁護すれば褒められる。彼らの考えが全く分からない。
【推論】彼らは俺を食おうと思っている。
狂人は悪人ではない。しかし、善人でも少しけなせば人に圏点をつけるし、悪人を少し弁護すればほめてくれると兄はいう。これは、入力のわずかな違いが全く異なる出力につながる一例である(例、(7))。兄弟は一般的に性質が近いが、狂人が歴史書の中に食人の二文字を発見したとき、すでに狂気は覚醒に向かっている(例、(8))。そのため、この場面以降、二人の入力のわずかな違いが初期値敏感性につながっていく。
狂人の言動には幻聴も認められる。例えば、空笑や他人の発言また夢の中の出来事などがそれに当たる(例、(9)、(10)、(14)、(15))。
【脳の活動③】 幻聴の認知プロセス
①知覚と注意
【知覚】兄が医者を連れて来た。
【注意】肥満度
②記憶と学習
【外部からの情報】静養すれば、良くなるという。
【スキーマ】静養
【既存の知識】静養したら肥とる。
【学習】それだけ多く食える。笑止千万だ(空笑)。
③計画と推論
【計画】食人を改心させる。まず兄から始めよう。
【問題分析】夢の中で一人の男に人食いが正しいかどうかを尋ねた。あるかもしれない。昔からそうであったからといわれる。
【問題解決】こうした考えを捨てたら、どんなに気楽だろう。
【推論】彼らは、互いに励ましあい、牽制しあい、死んでもこの一線を越えようとはしない。
また表6は、兄が食人であるという証拠を推論の土台にしている(例、(11))。
「道行く人も子供たちも、食おうとしながら、食われるのを恐れている。疑心暗鬼の目で互いに疑っている。」という症状は、自分と他者との境界が崩れて自我境界が曖昧になり、自分の秘密が筒抜けで、自分の考えが周囲に広まっていると感じる自我障害である(例、(16)、(17))。
【脳の活動④】 自我障害の認知プロセス
①知覚と注意
【知覚】自分は食おうとしながら、人に食われるのを恐れている。
【注意】疑心暗鬼の目。
②記憶と学習
【外部からの情報】道行く人も子供たちも食おうとする。
【スキーマ】食人
【既存の知識】食われるのを恐れている。
【学習】疑心暗鬼の目で互いに疑っている。
③計画と推論
【計画】食人を改心させる。
【問題分析】これは一つの門にすぎない。皆で一味になり励ましあい牽制し合い、死んでも門を越えようとはしない。
【問題解決】一歩向きを変えれば、皆が太平になる。いけないといえばいい。
【推論】彼らは改めずにちゃんと仕組んでいる。気違いを俺におっかぶせる。彼らの常套手段。
統合失調症の患者は、何かとストレスを感じて、言動にまとまりを欠く解体症状を引き起こす。ここでは(21)の場面がそれに当たる。部屋に戻ると、真っ暗で梁や椽が頭上で大きく揺れ出し、体にのしかかってきた。狂人を殺そうとしている。しかし、すぐにその重さが偽物とわかり、狂人はもがいて抜け出した(例、(22))。
【脳の活動⑤】 思考障害の認知プロセス
①知覚と注意
【知覚】部屋の中は真っ暗で、梁や椽が頭上で揺れ出し、体にのしかかってきた。
【注意】圧力
②記憶と学習
【外部からの情報】重くて身動きできない。
【スキーマ】殺害
【既存の知識】自殺
【学習】もがいて抜け出した。全身が汗まみれ。
③計画と推論
【計画】食人を改心させる。
【問題分析】人を食わなくなって、本当の人間になった者もいれば、ある者はやはり食っていた。彼らは、俺を食おうとしている。
【問題解決】一歩向きを変えれば、皆が太平になる。いけないといえばいい。
【推論】おまえたち、心の底から改めよ。食人はこの世で生きていけなくなることを知るがよい。
兄弟で妹に対する思いは近い。当初は入出力が近かったはずである。しかし、狂人の二度目の覚醒のころには、兄にいわせると食われるのが当たり前になり、二人の出力に差が生じている(例、(23))。
狂人の狂気は益々覚醒に向かっていく。確かに解体症状の中にも自由奔放な思考とか論理の展開が見られる。しかし、健全な人たちとの共通感覚がないために、彼らと対話する条件が見あたらない。狂人の思考は、当時の中国社会に潜んでいた根源的な恐怖に向かっているためである。(大石:1996) 礼教食人といえども、子供のうちなら人を食べたことがないものもいる。そこで、次世代以降の人民への警鐘が鳴らされる(例、(25)、(26))。
【脳の活動⑦】 思考障害の認知プロセス
①知覚と注意
【知覚】母の泣き方。
【注意】比較
②記憶と学習
【外部からの情報】五歳になった可愛い妹が兄に食われた。
【スキーマ】父母が病気の時、自分の肉を食べてもらうことが恩返しになる。
【既存の知識】父母への恩返しは人徳。
【学習】しかし、あの日の泣き方は、本当に胸が痛くなった。
③計画と推論
【計画】食人を改心させる(説得)。
【問題分析】俺には四千年の食人の履歴がある。もう分かる。本当の人間にはめったに会えない。
【問題解決】子供を救え。
【推論】人を食べたことがない子供ならいるかもしれない。
全体的に見ると、狂人の話の筋道はこうだ。怪しげでゾッとするような目つきをして睨み、俺のことを食おうとしているならば、食人である。しかし、一線(門)を越えれば、本当の人間になれる。食人でいる間は、自分の子供にも礼教食人を教えるために、次世代でもまた食人が生まれてしまう。
花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より