経験や体験に基づいた記憶や学習から得た知識は、推論の土台になる。 ダホスの療養所に着いて間もないHans Castorpは、Joachim Ziemßenから 平地と異なる山の上の慣習について話を聞かされる。そして、ホールから出てくる二人が、主治医のBehrensと危うくぶつかりそうになる。 Behrensは、「おい、気をつけてくれ」と二人に言い、「お互いにとって 事が多少悪く運ぶ場合もあったぞ」と強いNiedersachsen (オランダと接 するドイツ北部)地方の方言で、くどくどした何かを嚙むような口調である。Hans Castorpは、Hamburg (北欧への玄関口)の出身で、発音などに特徴が出る方言による言葉の違いは理解できた。これは、記憶から呼び出す際に似ている音声を誤って取り違えてしまう一次記憶の特徴であろう。
また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発をする。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。
花村嘉英著「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より