シュテファン・ツヴァイクの「Angst」で執筆脳を考える-不安障害2


2 シュテファン・ツヴァイクの「Angst」の背景

 洗練された文体とか無意識の解明などが思い浮かぶシュテファン・ツヴァイク(1881-1942)は、歴史上の人物の評伝で有名なウィーン人である。彼は、人間を愛し、イデオロギーや硬直したシステムおよび傲慢な計画を憎んだ。そして民族と国家間のように人間と人間の間には境界線を引いていた。 

 修業時代は、フレマンの詩人エミール・ヴェルハーレン(1855-1916)の詩作をドイツ語に翻訳した。FriedenthalのNachwortによると、同時代の知識人と意見を交わし、仲間の関係を作ることがツヴァイクの特徴になった。1881年古きドナウの君主国に生まれ、その都ウィーンの上流家系の家柄で育つ。当時のウィーンの要素には、音楽と劇場のみならず、医学や心理学といった科学の研究も含まれる。このウィーンの両面にツヴァイクの作家としての心理的な第六感が働きかける。その後、文学史を修め、世界の主要都市を旅行する。

 精神の自由な交換を無に帰した第一次世界大戦(1914-1918)は、憎悪と権力に対し情熱的に抵抗した詩作を作らせた。第一次世界大戦後、ツヴァイクは、ザルツブルクに移り結婚し、体系的に幅広くライフワークを組み立てる。人生の輝く時代に、決定的な瞬間を呼び起こす歴史のミニチュアを作った。 

 1934年以降ロンドンに居住し、再婚する。第二次世界大戦(1939-1945)の直前に英国の西海岸にある保養地バースに移った。その後、イタリア、ポルトガル、パリそして南北アメリカへと講演旅行に出かけ、長きに渡り世界中に翻訳された作家になっていく。1940年のアメリカへの講演旅行の後、もはや帰る必要はなくなった。自叙伝を作成し、ブラジルを訪れ、60歳の誕生日を前にして二度目の妻とともに自殺した。

 正当であって魂のつり合いを保とうと努力しながら、ツヴァイクは、最後の言葉を書き記す。我々の時代同様非人間の時代に人間的なものを我々のなかで強め、我々が所有する唯一で失われることのないもの、つまり我々の最も内なる自我を放棄しないように警告する人以外誰にも感謝する必要はないと。 

花村嘉英(2021)「シュテファン・ツヴァイクの「Angst」の執筆脳について-不安障害」より

シナジーのメタファー1


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