トーマス・マンとファジィ15


 

 経験や体験に基づいた記憶や学習から得た知識は、推論の土台になる。 ダホスの療養所に着いて間もないHans Castorpは、Joachim Ziemßenから 平地と異なる山の上の慣習について話を聞かされる。そして、ホールから出てくる二人が、主治医のBehrensと危うくぶつかりそうになる。 Behrensは、「おい、気をつけてくれ」と二人に言い、「お互いにとって 事が多少悪く運ぶ場合もあったぞ」と強いNiedersachsen (オランダと接 するドイツ北部)地方の方言で、くどくどした何かを嚙むような口調である。Hans Castorpは、Hamburg (北欧への玄関口)の出身で、発音などに特徴が出る方言による言葉の違いは理解できた。これは、記憶から呼び出す際に似ている音声を誤って取 り違えてしまう一次記憶の特徴であろう。
 また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発する。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
 三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。

花村嘉英(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です