イロニーの原理
a) 定義 Thomas Mannは、彼の散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、 それを批判するために、つまり、イロニー的に。…この批判的な距離は、 イロニー的な距離になりうる。実際に、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、 言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。一方、ファジイ理論は、システムが複雑 になればなるほど、より正確な記述ができなくなることを主張する。
b) 特徴 双方に共通の特徴として、主観性を想定することができる。周知の通り、ファジィ理論は、科学の中に客観性ではなくて、主観性を導入する。 一方、Thomas Mann と Hans Castorp が歩んでいく道をベースにしたイロニーの原理は、自己を乗り越える原理である。 つまり、ファジィ理論における主観性は、個人的な主観であり、Thomas Maimの主観性は、超個人的な主観(主体性)となる。しかし、何れにせよ双方共に個人による規定や決定が問題となっており、両者をまとめて広い意味で主観と呼ぶことができる。
c) 語の選択 Thomas Mannが使用するイロニー的な語彙、例えば、形容詞とか副詞は、意図的な不正確さを通して言葉が持っている本来の意味合いをはずす。一方、ファジイ集合によって表現される概念は、「背の大きい人達」や「多かれ少なかれ」といった曖昧な概念であり、外延的でも内包的でもない中間的なものとなる。
花村嘉英著(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より