三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える8


表3 虚無とうつの認知プロセス
虚無の生活から転機が訪れる場面

A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。
情報の認知1 1、情報の認知2 2、情報の認知3 1

B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。電動の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1

C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつかれた時に、何かが開けるということを、電動の書にわたしは感じた。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

E この伝導の書の終わりにあった、「汝の若き日に、汝の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より


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