三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える2


2 「道ありき」のLのストーリー

 人生の中では失うものもあれば得るものもある。例えば、病気になれば気持ちが滅入り、物事を悪く考えるようになる。三浦綾子も20代に入って敗戦の翌年に肺結核の症状が出た。しかし、医師は肺結核とは言わず、問診で肺浸潤とか肋膜と説明した。肺結核と診断すれば、現代でいうがんを宣告するようなものであった。何れにせよ何を目標に生きればよいのかわからず、綾子は、何もかもが虚しく思われる虚無の心境となった。
虚無的生活は、人間を駄目にする。三浦綾子曰く、全てが虚しいから、生きることに情熱はなく、何もかもが馬鹿くさくなり、全ての存在が否定的になって、自分の存在すら肯定できない。但し、一つだけ否定できないものがあった。それは、教え子に対する愛情である。
 そんな時、医学生の前川正という人から聖書を進められる。聖書は、教訓めいたことのみならず、虚無的な物の見方も含み、自己を否定して追い込むと何かが開けると説く。綾子の求道生活は、次第に真面目になっていく。そこで「道ありき」の購読脳を「虚無と愛情」にする。
 旭川での入院当初、三浦綾子自身は、カリエスだと思っていた。カリエスとは、骨の慢性炎症、ことに結核によって骨質が次第に溶け、膿が出るようになる骨の病である。一方、肺結核は、結核菌によって起る慢性の肺の感染症、多くは、無自覚に起こり、咳、喀痰、喀血、呼吸促迫、胸痛などの局所症状、羸痩(るいそう)、倦怠、微熱、発汗または食欲不振、脈拍増加などの一般症状を呈する。カリエスは、症状が相当進まないと、医師はそのように診断しない。
 札幌に転院してから熱が続き体は痩せ血痰も出て排尿の回数が多くなり、夜だけで7、8回起きることがあった。病院では検査が続く。血液検査、尿検査、1.8リットルの水を飲む水検査など。それでも体はますます痩せていく。胸部に空洞が判明した。背中も痛み、下半身に麻痺が来て失禁も伴い、まさにカリエスである。絶対安静の診断が下される。こうした身体疾患が原因となり、気分障害が発症している。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です