5 産業構造
5.1 日本の産業構造
A ペティ・クラークの法則
イギリスのウィリアム・ペティ(1623-1687)は、経済が発展するにつれて、産業構造の比重は第一次から第二次産業、そして第三次産業へと移っていくことを、最初に発見した経済学者である。ペティの考えをさらに発展させたのは、同じイギリスの経済学者コーリン・クラーク(1905-1989)である。従って、この二人の学説をペティ・クラークの法則というのである。
日本の産業構造の変化は、ペティ・クラークの法則により実証されている。
1880年から2000年までの120年間において、第一次産業は、最初の67.1%から1.5%までに低下したが、第二次産業は、1880年の9.0%から1940年にはピークの38.0%になってから低下傾向になり、第三次産業は、最初の23.9%から現在の69.5%までに上昇した。
生産額だけではなく、労働力の面から見ても同じである。
100年ほど前の1900年は、全就業者の7割が農業や漁業などの第一次産業に従事していて、第二次、第三次産業の従事者は、それぞれ13.8%と16.2%であった。それから、第一次産業の就業者の割合は徐々に低下した。第二次産業は、1980年の33.6%をピークにして、2000年には19.1%に低下した。それに対して、第三次産業の就業者数は上昇しつつあり、2000年には64.5%となった。
明治初期の日本は、封建社会の色合いが強く、第一次産業の割合は圧倒的に多かった。明治政府の殖産興業制作により、工業化が推し進められ、第二次産業の比重が次第に高まっていった。
第二次世界大戦後、特に1950年代後半になると、日本では工業化が急激に進展した。鉄鋼、科学、合成繊維、機械、造船など欧米から次々と新しい先進技術が導入され、それをテコに重化学工業が発展を遂げた。
1970年代に発生した石油ショックが再び日本の産業構造を大きく変えた。第二次産業の比重は頭打ちになって、代わって大惨事産業の割合は急速に高まってくる。2000年の産業構造のデータでは、生産面に置いて、第一次、第二次産業は、それぞれ、1.5%、29.0%を占めているのに、第三次産業は69.5%となって、7割近くを占めるようになった。
21世紀に入って、IT革命による新技術の導入、地球環境変化への大砲、少子高齢化の進展等により、日本の産業構造はまた大きく変わっていくであろう。
花村嘉英(2017)「日本経済入門の講義」より