1 論文の方向性-Lのストーリー
シナジーのメタファーのために一作家一作品でできることを現状のレベルでまとめている。今後、統計処理など研究の技葉がさらに増えていくように日々精進していきたい。この小論ではトーマス・マン(1875-1955)の「魔の山」が題材になる。
私のテキストの分析は、シナジーのメタファーを考察することである。最初に受容と共生からなるLのストーリーを作成し、次にそれが反映されているリレーショナルなデータベースについて分析していく。基本的に、「阿Q正伝」(1922)と同じ方法で、「魔の山」(1924)について見ていくことにする。すでにトーマス・マンの執筆脳はファジィとして、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーを作成している。
花村(2005)の中で、トーマス・マンの イロニーとザデーのファジィ理論を次のように定義した。
トーマス・マンは、散文の条件として常に現実から距離を置く。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、 また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。 …この批判的な距離は、イロニー的な距離になりうるであろう。実際、批判的な表現における簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設定されている。そして、ザデーはいう。正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。
つまり、両者とも、物事を深く正確に突き詰めていってもそこには限界があり、逆に深追いしないことにより良い結果をもたらすことができると主張している。この小論では、これまでの研究から筆者がたどり着いたファジイ理論とトーマス・マンのイロニーをさらに掘り下げて、両者の整合性を見ていくことにする。
花村嘉英(2019)「シナジーのメタファーのために一作家一作品でできること-トーマス・マン『魔の山』」より