三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える7


表1 対処行動の分析3

分類 「道ありき」から抽出した場面の病跡状況 + 対処行動

C 前川正の喪が明けてから、綾子の病室を訪問する客の中に三浦光世という男がいた。旭川営林署の会計係である。死刑因と文通し、慰め力づけている人である。やはり腎臓結核の手術歴がある。②

C 確かに結核は、侵入経路の大多数が肺に出る。また、肺や腸、腎臓などの臓器や骨、関節そして皮膚を侵し、胸膜炎や腹膜炎も起こす。綾子は、熱が出て寝汗もかき、血痰が増え面会謝絶になる。①

C 病気を気づかう見舞いから、次第に三浦光世に惹かれていく。⑤

C 微熱や寝汗はあるも少しずつ体力がついたころ、万一のために遺言を書き、歌を整理していた。自分の死体を解剖してもらいたい。解剖用死体が不足しており、死後に何かの役に立ちたいと思ったからである。⑤

C 三浦光世にノートを渡すと、必ず治るといって読んでくれた。三浦の手紙には、最愛なるという形容が綾子の名前についていた。愛の励ましのおかげで、綾子の体は元気になり、外出もできるようになった。⑤

C 昭和三十四年の正月、三浦の年頭の挨拶のとき、婚約式が1月25日に決まった。式が終わると、結婚式は5月24日になった。よく晴れた日曜日に教会堂で牧師の言葉に二人で深く頷いた。⑤

花村嘉英(2021)「三浦綾子の「道ありき」でうつ病から病跡学を考える」より


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