サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」5


1.4 ユングの影響

 サピアに影響を与えたのはユング(1875-1961)です。ユングは、忘却や抑圧といった個人的無意識により意識されなくなった知覚に対して、個人を超越した普遍的な集合的無意識を提唱した。例えば、無意識の行動パターンという論旨にもあるように、サピアにとって無意識は重要な概念になっている。
 また、言語の偏流についても、言語社会が無意識のうちにある方向を選んでいるとする。つまり、これが集合的無意識の思想になり、文化活動なども社会において無意識にパターン化されていく。サピアの言語類型論は、社会や文化のメタファーのみならず、文化人類学にも影響を与えているといわれている。(サピア:1998)
 ユングの心理学は、人間の中にある心象を意識と関連づけることにより、人格全体を回復させようとする。この心象と意識の関連づけに一役買ったのが錬金術である。錬金術とは、古代エジプトに始まり、中世ヨーロッパで流行した鉄のような非金属から金や銀といった貴金属を作るための化学技術のことである。また、不老不死の万能薬を調合するための技術としても使われた。
 ユングは、こうした化学史のみならず、無意識との関係から宗教や精神心理の意味合いをも含めた現代的な錬金術の意義を再評価し、中国の錬金術書「黄金の華の秘密」の読解にも従事した。  
 無意識の状態からエピソード記憶が喚起することも知られている。過去の出来事を喚起させる刺激は、確かに無意識と類似しており、深層心理と関係がありそうである。しかし、全く無関係な刺激を通してあるエピソードが喚起されることもある。これが無意識と関連する。ユング心理学は、「秩序」-「無秩序」-「より高次の秩序」という過程で人間の心をとらえて行く。エゴ(自我)には一定の秩序があるため、そこに意識が生まれ、その周囲に無秩序状態の無意識があり、それらが統合されてより高次の秩序セルフ(自己)が生まれる。
 平たくいえば、意識とは、無意識に対して、はっきりとした自律的な心の働きがあり、状況や問題のありようなどを自ら認識していることをいう。一方、無意識とは、通常、意識されていない心の領域とか過程のことである。つまり、無意識の働きは、大脳皮質中枢の本能的・反射的過程のみに限定されず、意識のかなたにも及び、様々な象徴に支えられて未来の意識過程をも予知することができる。さらに記憶の分類でいうと、長期記憶の非陳述記憶のうちプライミング記憶に無意識が見られる。 
 次章では、魯迅が自身を託した「阿Q正伝」の主人公阿Qの言動にからむ言語情報を頼りにして、「魯迅とカオス」というシナジーのメタファーを作っていく。例えば、小説の舞台である未荘村の人たちの無意識の言動は、サピアのいう言語の偏流である。当時の中国社会に蔓延していた「馬々虎々」が集合的無意識の思想になり、社会において無意識のうちにパターン化された。それに対する阿Qの意識と無意識に絡む言動は、未荘人とは全く異なる革命をもにおわせるものである。

花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より


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