1.3 母語の構造-サピア・ウォーフの仮説
サピアと彼の弟子ウォーフの主張は、母語の異なる話し手は相互理解が難しいとか、異なる言語間の完全な翻訳は不可能であるといった強いものではなく、もう少し弱い立場に立った言語の相対性といえる。(サピア:1998)
サピア・ウォーフの仮説:母語の構造とは、言語から独立した思考、特に人の認知能力に対する影響が強い。
この仮説に関する一般的な解釈は、言語が思考に少なからず影響を与えるという立場を取る。しかし、思考のどういう側面に影響を与えるのであろうか。思考の場合は、対象のとらえ方や判断の仕方に関する高次の認知能力が問題になる。
アメリカの言語学は当初、音へのこだわりがあり、音と構文を中心に研究が進められた。その後、1970年ぐらいまで個々に扱われてきた言語理論が少しずつ融合されていく。1980年代から1990年代にかけては、コンピューターの発達もあり多くの研究分野で新しい試みが生まれた。例えば、言語学では生成文法と論理文法を組み合わせたGPSG(一般化句構造文法:Generalized Phrase Structure Grammar)(1985)やHPSG(主要部駆動句構造文法:Head Driven Phrase Structure Grammar)(1994)がそれに当たる。また、こうした理論や方法論を使用する作品分析も見られるようになってきた。(水谷:1998、花村:2005)いずれも人間の認知能力を考えるための試みである。
知覚や記憶の場合も言語のみならず認知能力が問題になる。(例えば、第一章の表1参照。)どういう記憶が残りやすいのか、記憶ごとの結びつきはどうなのかを考えると、社会共同体ごとに違いが見えてくる。一般的に、既知の情報については推論を用いて、未知の情報についてはカテゴリー化をして我々は情報を処理している。
未知の情報を処理する際に使用するカテゴリー化は、母語の構造により異なってくる。中国語と日本語は、色彩表現のカテゴリー化に違いがあり。例えば、日本語の青という色名の中国語を考えてみよう。空とか海の色を表す時に、中国語では藍(蓝)を用いて、蓝天(青空)や蓝色的大海(青い海)のようにいう。また、青信号、草木、水などの表現は、中国語では緑を用いて绿灯(青信号)、绿叶(青葉)、碧绿的湖(青々とした湖水)という。一方、日本語と同様に青を用いて、青马(青馬)とか青菜(青い野菜)という表現もある。(小学館中日辞典)つまり、中国語の色の表現は、日本語に比べて具体的でかつ多用といえる。
サピア・ウォーフの仮説を現代の視点からとらえ直すには、日常の生活に密着した習慣的な思考と動的な言語や思考の概念を取り入れることが重要になる。つまり、思考の意味するところを広げて、言語行為による慣習が文化とか社会の認知にも影響を及ぼしているとするのが経験から見て適切である。
花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より