魯迅の「狂人日記」(1918)は、中国近代文学史上初めて口語体(白話文)で書かれた。当時の中国社会は、人が人を食う社会であり、救済するには肉体よりも精神の改造を必要とした。中国の支配者層が食人的封建社会を成立させるために儒教の教えを利用したからである。しかし、結局は虚偽にすぎず、「狂人日記」の中に登場する礼教食人を生み出した。魯迅は死ぬ直前まで、「馬々虎々」(詐欺も含む人間的ないい加減さ)という悪霊と戦い、この悪霊を制圧しない限り、中国の再生はありえないという信念を持っていた。主人公の狂人は、被害妄想を患っていた。但し、従来の狂人の扱いについては、中国と日本で違いがある。中国での見方は以下の三つである。(花村嘉英著「魯迅をシナジーで読む」より)
① 主人公の狂気は見せかけで、反封建の戦士というもの。
② 主人公の狂人は本当であり、反封建の戦士ではなく、反封建思想を託されたシンボルというもの。
③ 迫害にあって発生した反封建の戦士というもの。
一方、日本の見方は、「主人公の狂気は覚醒した」となっている。私のブログでは、狂人の狂気は覚醒したとしながらも、同時に狂人が発する中国人民への説得も認知プロセスと関連づけて考えていく。つまり、人間が野蛮であったころは人を食いもした。しかし、よくなろうとして人間を食わなくなったものは、本当の人間になった。こうした努力こそが大切だとするリスク回避による意思決定論を見ていく。
狂人は確かに狂気に陥っている。狂人の発病時期を考えると、30年ぶりにきれいな月を見たという書き出しの日記のため、相応の年月が経っていると見なすことができる。20年前に古久先生の古い出納簿を踏んでいやな顔をされた中学生の頃には、症状が周囲からも見て取れた。
魯迅は日本留学中(1902-1909)に個人を重視する近代ヨーロッパの精神を学んでいる。これは魯迅にとって、儒教を拠り所とする封建的な物の考え方とは全く異なる革命的な思想であった。これを狂人が狂気に陥った一要因とするのはどうであろうか。
覚醒の時期についてもいくつか可能性がある。 例えば、
① 歴史書を紐解いて食人 を発見した場面。
② また一つは、妹の肉を食う場面。家族が食人の世界と繋がり、自分もその中にいることを発見した場面。
③ そして、「子供を救え」と訴える個人と中国民族の再生を望む場面など。
これらの場面と狂人が人民に向けて説得を繰り返す場面を認知プロセスと関連づけるために、以下で狂人の言動を見ていこう。
花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より