魯迅とカオス 狂人日記 5


 筆者は、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーを作るために、論理文法による分析を試みたことがある。(花村嘉英著「計算文学入門」2005) また、ここ数年は、魯迅や鴎外の作品を題材にして、「魯迅とカオス」とか「鴎外と感情」という組み合わせを考えている。これは、「トーマス・マンとファジィ」とは異なる言語でシナジーのメタファーを作成するためである。
 魯迅の「阿Q正伝」に関する論文では、サピアの言語論を基にして、中国語と日本語から見えてくる思考様式の違いについて考察している。魯迅は学生時代に日本に留学しており、彼自身も中日の思考様式の違いについて思うところがあった。そして、当時の中国人が罹っていた「馬々虎々」という精神的な病を嫌って、「阿Q正伝」の主人公阿Qに自分を重ねてそれを強く人民に訴えった。こうした魯迅の作家人生からシナジーのメタファーを作るために、「馬々虎々」をカオスのモデルとリンクさせながら、「阿Q正伝」に見られるカオスの世界を海馬モデルにより説明している。
 なお伝統的な縦の研究の場合は、作品を受容するということで読者の脳が想定される。一方、シナジーの研究については、作家が執筆している際の脳の活動がポイントになる。(例えば、知的財産)そのため、AとBから異質のCという公式の中で、Cを脳科学にした。その際、CからBへのリターンも想定の内にありる。   
 「経営工学」とか「社会とシステム」または「法律と技術」といったその他の文理融合の組み合せと比べると、「計算と文学」の場合は、文から理へのストーリーを作る際に、Bから異質のCへ橋を架けるところが難しい。そのため、文系から寄せた場合、中間のBまでの分析が圧倒的に多い。つまり、AとBの塊を作る事が多くて、そこから異質のCが出てこない。「阿Q正伝」の分析では、阿Qの記憶に絡む言動を抽出し、そこに同期と非同期の関係を見出して、カオスと記憶の話に橋を架けた。
 例えば、阿Qが飢えた狼の目を認識する際、まず連続した物体の存在認識が必要になる。阿Qの視神経は、狼の目の領域とそれ以外の空間から入力情報を受け取り、それぞれが同期と非同期の関係になる。狼の目は動くので、同期する場所は常に変化していく。そのため、同期と非同期は、速やかに処理されなければならない。「魯迅をシナジーで読む」では、カオスがこれを容易にすると考える。 
 「狂人日記」は、被害妄想を患う狂人が狂気から覚醒し食人を改心させようとして説得を繰り返す筋立てである。狂人の思いは、食人が一線(門)を越えることができるかどうかにある。一線を越えることができれば、本当の人間になれるからである。
 私のブログでは、こうした意思決定のポイントを狂人の意識と照合しながら、カオスと関連づけて考えている。最初に述べたように、カオスには二つの基本的な特徴がある。一つは、振舞いが無秩序なために予想ができなくなる非線形性である。また一つは、入力が近似であるにも関わらず、出力が全く異なったものになる非決定論である。

花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より


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