日本語から見た東アジアと欧米諸語の比較-言語類型論における普遍性を中心に13


3.4.1 テンスとアスペクト

 日本語の動詞は、「走る」「読む」のように動作や作用を表すものと「ある」「いる」のような存在を表すものとがある。双方ともに助動詞「た」を伴ってテンスを表すが、前者はさらに補助動詞を伴い動作や作用の過程とか状態を表すことがある。

(26)小説を読んだ。
(27)小説を読んでいる。

 (26)は、動詞が助動詞「た」を伴うことによりテンスを表しているが、読み終えたという一種の完了を表している。一方、(27)の「ている」は、ある時間帯の事柄の進行について述べている。これらの両方が一文に見られる場合は、複雑な文法関係ができあがる。

(28)朝八時に送信したメールは、午後になって返信が届いた。

 (28)の「送信した」の「た」は、連体形でより以前について説明する役割があり、届いた時点より前の事柄のため、「送信した」は過去完了形に当たることになる。

(29)午後になって返信が届いた。メールは朝八時に送信されていた。

 「送信する」は瞬時に行われる動作であり、そこに「ている」がついて「すでに」というアスペクトの意味が加わっている。つまり、テンスとアスペクトを組にすると、時間や継続について変化が出て、微妙な意味合いを出すことができる。
 なお、中国語は、動詞や文末に「了」がついて変化や完了を表す。中国語は独立語のため、動詞の活用はない。

(30)我买了一台电视机。(私は一台テレビを買った。)(小学館中日辞典)
(31)他喜欢游泳了。(彼は泳ぐのが好きになった。)

花村嘉英(2018)「日本語から見た東アジアと欧米諸語の比較-言語類型論における普遍性を中心に」より

シナジーのメタファー3


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