【Lのストーリー】
◇縦に受容:言語文学(ゴーディマ)→言語の認知→空間と時間(無限)
◇横の共生:空間と時間→情報の認知→意欲と知能(リスク回避と適応能力)
社会系や理系と同様に、文学の分析にもミクロとマクロの研究を想定している。ミクロは、対照言語の専門分野が研究の対象となり、マクロは、一つが地球規模、人文の場合、国地域の比較(東西南北)であり、また一つが研究のフォーマットのシフトが評価項目となる。フォーマットのシフトとは、Tの逆さの認知科学の定規を縦横に崩して、縦に言語の認知、横に情報の認知をとるLのフォーマットのことであり、購読脳(受容)と執筆脳の活動(共生)を考察の対象にする。(図1と図2を参照すること。)
筆者はこれまで文学作品をランダムに比較研究し、その際に作家を一種のエキスパートと見なして、作品に見るリスク回避という内容で論文を作成している。三人とも20世紀前半という同時代に活躍した作家である。一般的に作家は、エキスパートとしてしばしば警鐘を鳴らすことがある。例えば、魯迅は、作家として中国人民を馬虎という精神的な病から救済するために小説を書き、鴎外は、明治天皇や乃木大将が亡くなってから、後世に普遍性を残すために歴史小説を書いた。また、トーマス・マンは、20世紀の最初の四半世紀に、ドイツの発展が止まることを危惧して論文や小説を書いている。
ミクロは、研究者個人の工夫が評価の対象となる。一方、マクロの場合は、誰が考えてもある作家が作品を執筆している時の脳の活動は〇〇である、というように結論づけたい。これをシナジーのメタファーと読んでいる。例えば、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、そして「鴎外と感情」がこれまでに考案したシナジーのメタファーである。 (花村 2005、花村 2015、花村 2017)
花村嘉英(2018)「『ブルジョワ世界の終わりに』から見たゴーディマの意欲について」より