阿城の『棋王』で執筆脳を考える2


 阿城(1949-)の「棋王」(1984)は、彼の他の短編と同様に文化革命時代の自身の経験に基づいている。知識青年という都市の学校の卒業生を対象に行われた上山下郷運動によるいわゆる下放体験である。毛沢東による指示は、貧農や下層中農について再教育を受けることであり、1968年12月に出された。小説の舞台は、作者が下放した雲南省の西南端のベトナム、ラオスに近い辺境地帯であろうか。
 阿城は、作中差別されている人に温かい眼差しを注ぐ。これは、作者による一種の抗議である。将棋の愛する青年王一生やその師匠の紙屑拾いの老人は、決して社会的地位が上層ではない。しかし、彼らの持っている知恵も確かに捨てがたい。場合よっては有効利用できるからである。上山下郷運動は、毛沢東の死後の1977年文革終了とともに終わる。
 語り手のぼくは、作者の代弁者で二十代前半の年恰好である。文革の時期(1966-1976)に作者が過ごした年齢である。この特異な時代にこそ皆の知恵を集結させた。将棋馬鹿の王一生の母、王一生の師匠の紙屑拾いの老人、将棋王の老人など、知恵が集まれば幸せになれる。
 王一生の母は、仕事あっての人生だから高校を出てから将棋をやるようにと歯ブラシの柄でこさえた将棋の駒を彼に渡し、紙屑拾いの老人は、将棋道に生きる道があると王一生に説き、将棋王の老人は、九面指しもさること棋道が神機妙算で古今の名棋士も確約たると王一生を褒め、平和たる引き分けをもたらす。特異な時代に平凡であることが本当の人生を引き寄せ幸福感が得られるという下りは、将棋好きが多い中国ならではの結末か。
 王一生は、愛されたり、褒められたり、喜びや達成感から精神的な報酬としてドーパミンの分泌が高まっている。因みに目標を立てたときと目標を達成したときの二回ドーパミンの分泌が高まる。九面指しの将棋とそれを達成した喜びからこの神権伝達物質の分泌が見られる。
 そこで「棋王」の購読脳は「平凡と真の人生」、執筆脳は「知恵の結集と達成感」にし、シナジーのメタファーは「阿城と真の人生」にする。

花村嘉英(2023)「阿城の『棋王』で執筆脳を考える」より


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