ヘルマン・ヘッセの“Schön ist die Jugend”で執筆脳を考える3


 ユングの心理学については、魯迅の「阿Q正伝」を分析した際に、説明したことがある。(花村2015)ユングは、忘却や抑圧といった個人的無意識により意識されなくなった知覚に対して、個人を超越した普遍的な集合的無意識を提唱した。ユングの心理学は、人間の中にある心象を意識と関連づけることにより、人格全体を回復させようとする。つまり、「秩序」-「無秩序」-「より高次の秩序」という過程で人間の心をとらえていく。エゴ(自我)には一定の秩序があるため、そこに意識が生まれ、その周囲に無秩序状態の無意識があり、それらが統合されてより高次の秩序セルフ(自己)が生まれる。
 自身の運命を見出し自分の中でそれを生かしきる自己発見は、ヘッセの小説においてメインテーマであった。シュバーベンの敬虔主義の精神で育ったヘッセは、Rothmann(1981)によると、総じて敬虔な環境に固執するより改宗することで身を守り、マオルブロン修道院でプロテスタントの神学セミナーから逃亡したにもかかわらず、敬虔主義による内面への道に留まることで、宗教的な衝動から自叙伝風の精神の記録を書いた。
 文学との関係が崩れたヘッセは、試験的にことばによる手法を用いた。美学的な名誉心を捨てて詩作をせず、まさに告白をした。彼の告白は、わかりやすい宗教のような人生哲学を持っており、様々な再生復活の体験となった。
 “Schön ist die Jugend”の購読脳は「安心と忍耐」とし、精神分析の治療の中で患者が抱えている心理的葛藤や性格または考え方の偏りについて、患者自身の洞察により人格構造を変化させたため、執筆脳を「葛藤と洞察」にする。そこでこの小論のシナジーのメタファーは、「ヘッセと葛藤」になる。

花村嘉英(2020)「ヘルマン・ヘッセの“Schön ist die Jugend”の執筆脳について」より


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