サルマと映画を見て夜の8時か9時頃帰宅した。ブワナ・アーメドは、サルマのことを平手打ちした。(P.153)フラストレーション。心配もある。しかし、私のことをナメクジのように見る。最後には苛立ちが落ち着く。(P.154)出て行けという。荷物をトランクにしまう。サルマを叩く必要はない。(P.155)フラストレーション。
夜になって鉄道の駅へ向かう。そこには列車を待つ人たちが群がっている。海岸へ向かう列車は夕方に出る。それまで仮眠する。(P.158)朝になって帰郷することを告げるため大学にマリアムを訪ねる。マリアムに事情を説明し再び駅に行く。列車が走り出すまでプラットフォームで見送りしてくれた。(P.161)エピソード記憶。
エピソード記憶と短期記憶は、個人の意識が存在するレベルの記憶であり、意味記憶やプライミング記憶及び手続き記憶は、個人の意識が介在しない潜在記憶である。但し、エピソード記憶と意味記憶は、経験と時間によってどちらにも変わる可能性がある。
ビ・ムブワを車に運ぶ。死の臭いがする。病棟には死を待つ長い列がある。ベッドを片付けて祖母を寝かせる。(P.175)リューマチである。リューマチは、アレルギーによっておこる関節や筋肉の疼痛性疾患である。レントゲン検査の手配もされず、翌日死亡した。棺はタクシーで家に運ばれた。二人いる姉妹の姉、サキアが手伝いに来た。早熟で下女を放棄し、12歳で学校での修業を終える。葬式後に共同墓地に埋葬される。(P.176)個人の意識が存在するエピソード記憶である。
先生になるために、教育大学に行きたい。次の学期からスタートできる。(P.178)向上心と考えたい。未来も含めた個人の経験にまつわる出来事と関連するエピソード記憶と捉えたい。個人の意識が存在しているためである。
「出発の記憶」は、個人の意識が存在するエピソード記憶が中心にあり、その背後に潜在意識のプライミング記憶や意味記憶が来る。そこで購読脳は「ポストコロニアルとフラストレーション」、執筆脳は「向上心と脱出」にする。シナジーのメタファーは、「グルナと向上心」である。
花村嘉英(2023)「アブドゥル・グルナの“Memory of departure”(出発の記憶)で執筆脳を考える」より