トーマス・マンとファジィ8


 集合論の演算と論理学の演算の違いを確認しよう。集合論の演算では、 2つのファジィ集合が完全に結合し、最後に再び集合が成り立つ。例えば、 我慢強い子供の集合は、月並みな子供の集合と結合し、最後に我慢強くて月並みな子供の集合が成立します。論理学の演算では、考察される要素の特徴が結び付けられ、最後に何れかの特徴を持った要素が立つ。ある子供の我慢強い特徴は、その子供の月並みという特徴と結びついて、我慢強くて月並みな特徴を持った要素(Hans Castorp) になる。
 面白いことに、人間は、論理思考において、和結合または共通結合を純粋に使用することはごくまれである。たいていは、双方の中間に存在する結合を使用している。「魔の山」の中で、Hans Castorp は主人公であり、Joachim Ziehmßenは一人の登場人物である。Hans Castorpは、孤児で我慢強く背丈は中ぐらい。Joachim Ziehmßenは、体の幅があり背丈も大きくて几帳面な男である。ここで、我慢強くて強い男が求められているとしよう。簡単のため、双方の特徴は、選択時に同じように重要であることが前提となっている。Hans Castorpは、我慢強いが、強いというほどではない。いわば、我慢強さに対しては、メンバー シップ値が0.9となるが、強さに対しては、0.5ぐらいです。 Joachim Ziehmßenについても、同様にメンバーシップ値を当てることができる。我慢強くて強い男の集合に対する双方のメンバーシップ値を求めるために、最小値を求める演算が適用される。
 古典論理では、この点が説明できない。我慢強くて強い男の集合は、 どちらも我慢強くて強い特徴を同時にそして完全に満たしていないため、空の集合になってしまう。一方、ファジィ論理は、こうした点を補 うことがでる。和結合と共通結合の間に相補演算子ラムダとガンマを置くからである。ラムダ演算子は、パラメータが純粋な和結合と純粋な共通結合の間のどこに位置しているのかを示してくれる。そして、λ = 0 の場合、共通結合の演算子となり、λ = 1の場合に、和結合の演算子になる。ガンマ演算子は、相補的な和結合の演算子ゆえに人間の感情をうまく再現してくれる。つまり、2つの集合のうちの一つを優先させるに際に効果がある。Gamma = 0の場合、和結合の演算子となり、Gamma =1の場合、共通結合の演算子となる。

花村嘉英(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より


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