トーマス・マンとファジィ18


 Dr. Krokowski が、Davos の療養所で行う講演や日常会話の中で用いる 音にまつわるイロニーの問題を考察してみよう。Hans Castorp、Dr. KrokowskiそしてJoachim Ziemßen 三者がおりなすイロニーの距離が対象になる。Dr. Krokowskiは、療養所の患者たちを前に定期的に講演会を開く。 Hans Castorpは、当初Dr. Krokowski の講演に居合わせた Chauchat 婦人が気になって、話の内容がつかめなかった。どうやらテーマは愛の力のよ うだ。純潔と愛の戦いは、まず純潔が勝利しますが、愛は死なずに生きており、暗がりの中で自らを満たそうとする。はたしてどのような形で愛は再び現れるのであろうか。愛は病気という形で現れると Dr. Krokowski は説く。こうした結論は、療養所にいる患者たちに対するDr. Krokowski 一流の気配りである。しかし、Hans Castorp は、健康を自負しており、 次回から講演会に参加する気にはならなかった。そのため、カタルを患うJoachim Ziemßenとの距離は、比較的遠いといえる。
 ここで問題となるのは、Dr. Krokowski の話し振りである。引きずるよ うな柔らかい感じの “r” を遠方から聞こえるかのように鳴らすバリトンのため、舌音と唇音の間に薄い母音を伴う1.5音節の彼の“ Liebe”は、 水気の多いミルクのように何やら青白い気の抜けたイメージのものとなり、Hans Castorpには不快でならなかった。それもあってか、講演後、 Hans Castorp は、Joachim Ziemßen に Dr. Krokowski の話しはさほど満足のいくものではなかったと語っている。
 療養所は、午後安静療養の時間になる。Hans Castorp が Dr. Krokowski と対話をする場面がある。バリトンで柔らかい引きずるような何か飾りをつけた異国風の口蓋音 “r” に特徴がある Dr. Krokowski の話し振りは、Hans Castorp と Joachim Ziemßen のイロニー的な距離にも影響を与える。「我々の関係は新しい段階に入りました。つまり、あなたは、客人から同胞 (Kamerad)になったのです。私の目にはカタルを患っているように見え ます」と Dr. Krokowski は説明する。Hans CastorpとDr. Krokowski の距離が同胞となったことにより、Hans Castorp とJoachim Ziemßen は、同じ病気(カタル)を患う療養所の住民という関係になった。つまり、二人のイロニー的な距離は近づいてきた。

花村嘉英(2005)「計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より


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