ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える-実母のうつ病2


2 作品の背景

 ペーター・ハントケは、1942年にギッフェンで生まれ、現在はパリ在住である。2019年のノーベル文学賞受賞作家である。当初は社会と隔たりがある個人を描き、次第に全体的に同意して書くようになっていく。
 ‟Wunschloses Unglück”(幸せではないが、もういい)は、1972年ザルツブルクのレジデンツ出版社から最初に出版された。
 ヘルムート・シェッケルは、判決ではなく、母のための文学の記念碑でもなく、埋葬後、作者と読者が自由に呼吸できるような孤独なイメージでもなく、恐ろしく開いた傷についての描写だとフランクフルター・アルゲマイネ紙に書いている。 
 評論家の多くがこの作品をハントケの文体の転換期に位置づけている。(Wikipedia2)ケルトナー紙の土曜日版に「混ぜこぜ」という見出しで、自殺の記事が掲載された。1971年11月19日に自殺した母マリアの人生を7週間経過した翌年の1月から半ば伝記風に描き、その年の2月に書き終えた。
 埋葬の時は、とても強かった母に関する書きたいという欲望が無気力で暗黙の了解に変わってしまう前に、ハントケは、仕事をしたかった。自叙伝的な諸相を取り込み、自分の感情について語り、貧しい環境においても自立を試みた母の成長を描くために。

花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より

シナジーのメタファー1


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