身体障害は、避けられない悲しみである。メンタルの成長がない子供たちに罪はない。中国では、何代もの家族が同じ屋根の下で暮らし、相互に責任を負っている。こうした家族の家は、無力の人を世話する場合に理想である。(P40)しかし、アメリカの施設には、大好きな母も中国人の看護婦もいない。
娘が母親から離れる前に一年かけてできる限り彼女の能力を試してみた。娘の将来に関し最善の選択をするためである。読んだり、書いたり、色を識別したりなど。確かに音楽が好きで、楽譜を学び、歌を歌った。(P41)
自閉症は、3歳ぐらいまでに現れ、中枢神経に何らかの機能不全があるとされる。キャロルの場合、言葉の発達が遅れている。会話が続かない、ことばのオウム返しが気になる。
南京の暴動ため、外国人は中国を離れた。母と娘は、春になって日本の長崎に行った。小さな日本の木造の家で楽しい夏を過ごした。原始的な方法で家事をこなし、木炭の火鉢で米や魚を料理し、果物を食べた。娘とともに鉄道で日本を旅した。宿泊の際には、女中が世話をしてくれた。食事も風呂も寝具も用意してくれた。娘に対する違和感はない。彼女は受け入れられた。(P43)
クリスマス前に中国の上海に戻った。娘は平易な文章を読むことができ、自分の名前を書き、歌が歌えた。しかし、彼女の両手が濡れているのに気づいた。強い緊張のためである。全然楽しくはない。本当は何も学んでいなかった。到達度は、かなり低く、学習障害の症状が見られる。緊張が強ければ、ストレスが強く心の病気になる。
花村嘉英(2022)「パール・バックの“The child who never grew”(母よ嘆くなかれ)で発達障害と執筆脳について考える」より
“パール・バックの“The child who never grew”(母よ嘆くなかれ)で発達障害と執筆脳について考える4” への1件のコメント
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