実際に「円恩寺」の中身を見てみよう。
结婚是人生大事,我们这短短的一生中,幸福本来就不多。我们是足有半个月的假期,即使这蜜月只有一半,对我们来说,也再甜蜜不过了。我呢吧报答你们的是我们的幸福。
結婚は一生の大事である。新婚旅行も短い生涯の中で幸せを感じる良い機会である。半月であれ、蜜月はこの上なく甘いものである。迷惑をかけた分は、幸せで答えたい。(3)
我们来到这座县城也完全是偶然的。迎面走来了人打量了一下我和方方,便热心指点给我看。要去,只有座大庙,在城西的山头上。
円恩寺がある県城には全く偶然辿り着いた。通りすがりの男に宿泊所と名所を尋ねる。郊外にある山寺を紹介してくれた。(1)
在我们的蜜月中,就连扎脚也是种幸福的感觉。我,方方,我们,人称变化。单数,复数,在有幸福。
主人公の新妻方方への気配りが幸せに映る。ぼく、ぼくたちそして方方という具合に人称が変わる。単数でも複数でも幸せがそこにある。(2)
我们到了庙前那座的山门下。便躺在树荫里的荒草地上休息。这是一种难以言传的幸福,幸福得这样宁静。
山寺に辿り着き、木陰に横たわる。方方が彼に寄りかかる。二人はことばにできない幸せを感じる。(3)
是个个子高大的中年人,头发蓬髭,满脸没刮的落腮胡子,面色隐沉。外地来玩的。他却把香瓜朝我扔了过来。我堂兄弟的孩子。我象把他收做我的儿子,只要他肯跟我过。
男が現れる。背の高い中年で、神はボサボサ、無精ひげを生やし、沈痛な面持ちである。旅人と分り、持っていたウリをくれた。従兄弟の子供と遊んでいた。激しい感情の波が渦巻く。(3)
読み終えてからLの分析をすると、購読脳については、新婚旅行という月並みではあるが人生の一大事を作り、たまたま辿り着いた町を放浪することから「創造性と放浪」を考える。執筆脳は「幸せと楽天」となり、購読脳と執筆脳を合わせたシナジーのメタファーは、「高行健と楽天知命」にする。高行健の「円恩寺」に対する基本姿勢も内心の感情を外界へと投射する主観の調節が一番多い。
花村嘉英(2022)「高行健の『円恩寺』で執筆脳を考える」より