シモンなりに、彼の書き方で自らを現代性の中に組み込むことで革命を目指した。その際の頭の使いようは、閉じた曲線を辿り同一点を繰り返し通過する動体の運動を伴った回転といえる。思考の線は、大きな主題の間を自在に逸脱し、小さな主題に立ち換える。
「路面電車」の舞台は、マヨルカ王国の首都ペルピニャンである。クロード少年は、通学で路面電車を利用していた。書き出しは、路面電車の運転台の様子(Rester dans la cabine au lieu d’aller s’asseoir à l’intérieur sur les banquettes, semblait être une sirte de privilege non seulement pour mon esprit d’enfant)やそこから見える風景について延々と連なるシーケンスである。一人語りでは決してなく、設計図に基づいた饒舌体といえる。車窓の風景には病院や養老院が登場し(se rendait à l’hôspital ou l’hospice, ou maison de retraite)、80歳を過ぎて肺炎による高熱で病床で喘ぐ(Toujours, je suppose, par l’efffet de cet état fiévreux qui me donnait l’impression d’être enfermé)老いたシモンもそこにいる。何年もの年数の経過が対立カテゴリーの共存や移動とともに時を重ね、螺旋状の回転により連なる長い文章がシモンのダイナミズムである。
文章の間を隙間なく埋めるがごとく、括弧書きの箇所が非常に多い。シモンが執筆中にふと思うことなのであろうか。様々な記憶を巡せるうちに浮かぶこともできるだけ詳述するように心掛けている。これもまたヌーヴォー・ロマンの作家たちに共通する特徴にしたい。
そこで「路面電車」の購読脳は「車窓から浮かぶ客観的な事実と時空の交錯」、執筆脳は「回転とシーケンス」、そしてシナジーのメタファーは「クロード・シモンと記憶の時間」にする。
花村嘉英(2022)「クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える」より