作家が試みるリスク回避について-魯迅、森鴎外、トーマス・マン3


3 日本の危機感

 魯迅は鴎外の作品を好んで読んだ。作家人生の後半を飾る鴎外の歴史小説群は、ご都合主義が当たり前だった明治末期というカオスの時代が舞台である。ご都合主義とは、権威を見せかけにした世間のなりゆきのことをいう。(森鴎外1995) 見せかけによるご都合主義は、魯迅が儒教を批判した理由にも関連する。儒教の教えは、ごまかしが巧みな人間を育てたために、中国の支配者層に利用されたからである。 
 封建社会から近代社会へと移り変わっていくまさにその時、1912(明治45)年7月に明治天皇が崩御され、9月に乃木希典大将が殉死するという事件が起こった。この事件を境に鴎外からは時代の便宜主義が捨てさられて、歴史小説が書かれることになる。
 ドイツ留学を終えたころの鴎外は、陸軍に教官として勤務しながら、青春時代の作品を文語体で書いていた。しかし、青春時代のドイツ三部作「舞姫」(1890)、「うたかたの記」(1890)、「文づかひ」(1891)は、これといった現代に通じる普遍性があるとはいい難い。ドイツ留学時代をベルリンで過した鴎外自身の回想録といえる「舞姫」、ミュンヘンの美術学校を舞台にした日本人の画家と少女との恋物語と読める「うたかたの記」、ザクセン王国の貴族の生活を綴った「文づかひ」と続いていく。
 一方、歴史小説は、人としての普遍性が口語体で書かれている。「興津弥五右衛門の遺書」(1912)は、例外的に候文になっている。これは、乃木大将の殉死をはっきりと美徳として書くためもあろう。乃木大将とは郷土が近いために日頃から親しい仲にあり、作品の中では彼の殉死を通して鴎外なりに自己の否定を定義した。
 また、殉死を美徳というほどのこともなく、単に拘りとか意地ぐらいの位置づけで処理している作品もある。「阿部一族」(1913)では、君主細川忠利に殉死を許されなかった武士の意地が書かれている。こうした殉死に対する思考は、内に秘めるものが外へ向かう性質を持っている。
 逆に、外から内へ向かう思考として、主人公の素直な献身の思いも普遍性の一つとして描かれている。厨子王の父母と姉への献身を綴った「山椒大夫」(1915)がその例である。また、「安井夫人」(1914)には顔は醜いが勤勉な男と結ばれた器量よしの佐代の生涯が書かれている。佐代の生涯も夫を敬う忠義の心、献身であろう。
 要するに、鴎外が抱いた危機感とは権威や見せかけに対するものであり、上述の普遍性を後世に残すことが鴎外なりの解決策であった。

花村嘉英(2014)「20世紀前半に見る東西の危機感」より


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