パール・バックの“The child who never grew”(母よ嘆くなかれ)で発達障害と執筆脳について考える5


 日本成人病予防協会(2014)によると、学習障害とは、知的発達の遅れはないが、利く、話す、読む、書く、計算するといった能力のうち特定のものの習得が困難な状態を指す。中枢神経に何らかの機能障害があるという。
 彼女にとって楽しい場所は彼女の家である。9歳まで娘と過ごし、彼女の最後の家を探した。(P45)一方、障害児の施設では責任者に問いただす。キャロルは、何も学ぶことができないと。しかし、できるという。一人でできなければ、誰かが助けるからである。但し、精神年齢は上がらない。(P53) 
しばらくして娘を施設に連れて行った。成長するためである。彼女は私に縋るも、別離のときである。無論、ときどき会いに来るし、娘も戻ってこられる。 
 子供たちは、楽しそうである。幸せな子供たちで、苦痛を知らない。まずは幸せがあり、全てがそれについて来る。一月会わずに過ごす。手紙も書けないのは、残虐行為のようである。しかし、婦長はいう。彼女は、学んでいるときが幸せだと。(P57) 
 娘は、私に我慢を教えてくれた。はっきりといえないが、伝達するために別の方法がある。精神の発達障害は、他の善良な性質で補うことができる。これは、社会性成熟度診断法により明らかになっている。(P63)回避できない悲しみと一緒に生活するときは、心地よさを見出す方法も学ぶことになる。 
 親の責任を問う。一つは、できるだけ施設を訪問し、子供を預かる人を見る。もう一つ、暮らしの雰囲気が有望であることが大切である。(P67)
 アメリカの知的障害の50%は、教育を通して社会の生産的なメンバーになれる。6歳未満の知能の成人が19種類の仕事を行い、全体の20%の仕事を非熟練労働者が担当している。教育こそが社会の組織を救済す一例である。(P72)
 脳への血液供給量が減少することにより精神薄弱の症状が現れる。手術による改善は、30%余りであり、警戒心、強い欲求、短気な性格が治ってくる。適切な教育や環境が整えば、半分以上の知的障害者が普通の社会で生活し、仕事をすることができる。悲劇の多くが不要だと認識してもよい。
 そこで“The child who never grew”の購読脳は「愛娘と知的障害」にし、執筆脳は「追求と救済」にする。双方を統合したシナジーのメタファーは、「パール・バックと愛娘の病跡」にする。 

花村嘉英(2022)「パール・バックの“The child who never grew”(母よ嘆くなかれ)で発達障害と執筆脳について考える」より

シナジーのメタファー3


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