莫言の「蛙」でシナジーのメタファーを考える2


2 Lのストーリー 莫言と正義

 山東省にある片田舎の婦人科の女医が「蛙」の主人公である。彼女の名前は万心で、登場人物の名前が身体の部位や人体の器官から取られている。こうした風習は、母と繋がっているという意味であろうか。新中国成立後、1970年代に始まる政策の一つに出産の規制がある。吉田(2011)によると、この計画出産は、増加率が年20%を越えた人口問題に対応するための国策であり、30年の歳月を経て人口の増加はようやく鈍化した。
 出産の関連用語に堕胎がある。堕胎とは、生命のある胎児を自然の分娩期に先立って、人為的に母胎外に排出させることである。また、堕胎罪は、堕胎を実行することによって、成立する犯罪である。但し、優生保護法に基づく人工妊娠中絶などはこれに該当しない。人工妊娠中絶は、妊娠の持続が母体にとって危険である時などに、手術によって流産または早産させることである。
 「蛙」は、万足の最初の妻王仁美が密かに二人目を孕む場面や王胆が月足らずで陳眉を出産する場面、食用蛙の養殖工場の裏にある代理出産センターを舞台にした陳眉と小獅子による親権争いなど、出産に纏わる筋立てでストーリーが展開し、最後に代理ではあるが、小獅子と万足夫婦が子供を授かるところで終わる。
 この小論でLの信号の流れは、縦横何れも分析→直観→エキスパートとしたい。縦は、言語の認知により構文と意味の分析があり、横は、情報の認知による情報の捉え方や記憶そして問題解決・未解決の分析が来る。
 小説の問題解決の場面を対象にし、信号が問題解決に届いたら、その信号が体全体に回るかどうかを考える。感覚は、感覚器官や神経そして脳の連動から生まれるためである。

花村嘉英(2020)「莫言の『蛙』でシナジーのメタファーを考える」より

シナジーのメタファー2


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